ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

判子

f:id:nsw2072:20201105112650j:plain:w240:left 判子をなくす、と河野太郎が言い始め、押印廃止するといってんだけれど、銀行の通帳、実印なんてところはどうなるんだろう、というか、どうするという方針を持っていい始めたんだろうか。判子の代わりに実際に本人が認めた、あるいは権利を実証するという行為をどうやって代換えするんだろうかという疑問が起きる。
 国会会議場内でタブレットでワニを見ていた馬鹿野郎議員がデジタル大臣になって(タブレットを使えているから?)、その四国の放送業界のドンとかいう平井卓也河野太郎に「押印廃止」という判子を作って送り、『アハハ!』的な発信をした。それで山梨県知事がそれにかみついた。長崎幸太郎という(開成-東大-大蔵省)若者・・といえるかどうか、50歳そこそこの若手。山梨は昔から印鑑で有名なんだが、なんでだろう,と思ったらそもそもそれは水晶から始まるんだそうだ。山梨は水晶が出ることで有名で、その水晶を使った印鑑づくりが盛んだったそうだ。私もひとつ持っている。そういえば山梨は硯でも知られているよねぇ。
 で、なんでかみついたかといえば、これから廃止されて斜陽産業となるであろう印章業界をことさら逆なでするようなことをするな!ということのようだ。
 判子を形式的だから廃止しようというのはそれでも良いかもしれない。なにしろ国際的な習慣ではないからだ。外国人が車を買う時に、どうしても判子が要るからといって、わざわざ漢字名前の判子を作ったりした。当の外国人は、なんでそんなものがいるのかと不思議がった。その代わりがサインだけれど、それがその人の本当のサインだとどうやって判断するんだろう。映画『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンが他人のサインを一生懸命真似する練習を思い出すよね。アメリカの大統領選挙が郵便投票を多用されているけれど、パックンの話だと事前にサインを登録する必要があるんだといっていた。あんなにたくさんの人たちが事前にサインを登録しているのか?あれはネット投票の話だったのか?
 オフィシャルのサインを契約書にする時に、そのサインが確かに本人のものだと証明するために、かつては公証人役場に行って、本人がサインするのを確かめ、公証人に裏書きして貰ったことがある。そういう契約については、判子もサインも同じ面倒くささが存在する。つうことは河野太郎が云っている押印廃止はただ単に日常的な確認押印をなくす、ということなんだとすれば、たいした話じゃない。それでも、確かに三文判が売れなくはなる。しかし、日付印はなくならないのではないのか。あれは便利じゃないか。ぽんと押すだけでいつ通過したかもあとから確認できるのだ。
 そして山梨県知事のクレームには私はあまり賛同しない。どうしてか。何かが改革される時には、必ずそれまでの習慣にすがりつく形で存在していた業界が潰れる。それを慮っていくのであれば、それは実行するべきではなくて、そのままにするしかない。極端なことを云うと、方の隙間を縫って生きていた連中が、その方が厳格に適用されることによって、生き延びることができなくなるのだとしたら、それは致し方のないことだからだ、極端なことを云うとだけれど。