ほぼ足りてまだ欲 その先

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世襲

 日本の宗教、仏教でも、神道でも、聖職者というのかどうか知りませんが僧侶、あるいは神主という人たちの大半は世襲ですよね。ま、幼い頃から、そういう環境に育ってくるんだから、それぞれの宗教的価値観の上に育ってくる可能性は非常に高いわけで、近いところにいる人たちであるということは言えるでしょうね。しかし、どうも納得のできないものがあって、現実は家業を継ぐ、というか立ちになっているということは否めないでしょう。何しろほとんどの場合は寺院、あるいは神社に附属した家屋で生活を営んでいます。本来的にはその家屋は聖職者として赴任して来る人のための家屋という解釈になっているのですが、そんなケースは非常に稀だというのが現実です。この国の宗教的環境がもう既にそうなっている以上、全ての解釈はありのままの現実をベースにするべきだと思いますが、実は建前がベースになっています。
 前々からうすうすそう感じてはいたのですが、漫才のサンドイッチマンNHKテレビ「お風呂戴きます」を見ていて、碓氷峠の神社の若い宮司が「いろいろ工夫をしたので参拝者が増えた」という言葉に、結局商売だから、人寄せを工夫するってことだね、と解釈したので、余計そう感じたんでしょうね。
 政治の世界を振り返れば正にそのままで、自民党に至っては世襲議員ばかりです。高邁な思想を持って政治の世界に入っていったなんてのは、ほんの一握りで、世襲でない議員の中でも、議員になれば高収入と入ってくる連中があらかたです。国会議員になると、もはやひとりの国会議員の権益だけではありません。その周りに巣くっている利権あさり連中全体の権益を確保しようとします。だから親父が失職しても、次世代を担ぎ出す。私の地元でもそれを狙っている自民党の元議員の息子が複数います。
 野党にはいないのかというと、そうでもないですね。先日急逝した羽田雄一郎は自身が世襲ですし、次には弟が出馬すると報じられています。社会党から民主に移った衆議院副議長の赤松広隆世襲です。羽田雄一郎の父親羽田孜は元々自民党だったわけで、ある意味そんな体質の中にいてもおかしくないのかも知れませんが、赤松の場合は、父親からし社会党でした。
 組織は永く続けば続くほど、停滞し、淀み、濁り、本来的意味合いを見失っていきます。公明党-創価学会もその点では、典型的日本的宗教組織といって良いかも知れません。