昨日の朝、図書館へ貸し出し期間を過ぎた本を返しに行って、夕方予約してあった本の取り置き期間が過ぎてしまうことに気がついて、またいった。そして武満徹関連本を二冊借りようと、書棚に行ったらその横にこの本があった。opacで見ている時にはこういうことに気がつくことがなかった。だから、図書館で本を探す時には書棚を見ないと損をする。
母校の図書館では、地下の書庫に学部生や卒業生は入れてくれないので、損をしている。大学院生の時は入れてくれたので、次から次に掘り進めていくことができていた。
いってみれば偶然遭遇することができた本だけれど、これが実に面白い趣向で、小澤征爾から始まって、高橋悠治、坂本龍一、湯浅譲二、河毛俊作、恩地日出夫、宇佐美圭司、武光眞樹(武満徹の一人娘)に谷川俊太郎が武満徹についてインタビューをしている。なにしろ私は武満徹のことを何も知らないので、ひとつひとつがもの珍しく、その上、この本が登場する人物や出来事を左頁の端に解説されているのでとても面白い。このアイディアは秀逸だと思う。本の装丁から見ると武満徹の奥さん、浅香さんに「武満徹全集」の編集をやった大原哲夫がインタビューした「作曲家・武満徹との日々を語る」と対をなしているようだ。
ところで、小学館から2003年に出版された「武満徹全集」なるものがとんでもない全集のようで(見たこともない)、全五巻なのだけれど、例えば「第三巻、映画音楽1」は73曲が収められているとされているからまさかCD二枚なんてことはないだろう。図書館でも、さすがに膨大な蔵書数を誇る文京区図書館くらいにしかないだろうが、あり場所が「倉庫・大型CD」と書かれていて、借り出すのが恐ろしい気がする。予約して取りに行ったらとんでもない物量だったらどうしようと逡巡する。なにしろ第4集「映画音楽2」だと11枚のCDだと書かれている。
ここで白状するが、武満徹が一時期それにハマっていたミュージック・コンクレートなるものにはとてもじゃないが賛同できかねる。冗談じゃない。願い下げだ。大学生の頃、フリーな音楽とはなんぞや、などといって、エレキバンド構成で、それぞれがその時のインプロヴィゼーションに従って表現するという行動に出たりしたことがあるけれど、今から考えてみると、ありゃ無茶苦茶だ。武満
と一緒にするのはもはや暴力かもしれないが、じっと座ってきいてなんぞいられない。山下洋輔やひと頃の佐藤允彦のピアノが日本でも持て囃されたことはあるけれど、私は嫌だった。それなのに、そんなコンサートでデートしたことがあることも白状しておこう。多分その時のお相手は呆れたことだろう。もう確認するわけにはいかないが。
しかし、2019年に主催していたヴォイス・トレーニング&カンツォーネのグループでトレーナーのテナーの先生が武満徹の「死んだ男」を持ってこられたときに、あぁ、これは懐かしいと嬉しく歌って、この歌が高石ともやで随分きいた頃を思い出した。
ところでクラッシックスやジャズではステージ・ネームを使うということはないけれど、なんでポップス界はこんなことになっているんだろう。もはやどこの人なのか、どれが曲名で、どれが演奏者名なのか、区別がつかない。もっともそんな分野はとんとお呼びじゃないから関係ないか。