ほぼ足りてまだ欲 その先

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この夏を乗り切る

やっぱり暑い夏を乗り切るのは衰えた高齢者の身にはなかなか辛いものがあるようで、ここのところ訃報が続く。
三宅一生っていう人が亡くなったというニュースが出たと思ったら、中井久夫も亡くなったそうだ。
とはいえ、私には全く関係がないから別段感慨も何もない。
中井久夫くらいは著作がいくらかあって触れたことがあるからなんとなくそう思うけれど、三宅一生に至っては殊更興味もない。

世の中には著名な人たちと繋がっている人というのは結構いるらしくて、そういう人たちの著名な人たちに関する思い出話を読んでいると、なんとなく、そうした人が身近にいるような気持ちになったりする。しかし、実際には全く関係がない。

ところが不思議なもので、そういう人のbiographyを読むと、それぞれ不思議な人生があるものだと、それには大層興味がある。
武満徹にしても、花森安治にしても、本当のその人のことは全く接点がないのに、そうした本を読むのには甚だ興味を覚える。
武満は音楽学校を出たわけでもないというのにも驚くけれど、戦後よそのうちからピアノの音が聞こえたら、そこへ行ってピアノを弾かせてもらったとか、ピアノを借りていて、その借り賃も払えなくなって家にピアノがない状態だったので、黛敏郎がピアノをくれたんだという。そんな始まりからあんな作曲家になることにも驚くけれど、あの時代、つまりピアノなんて金持ちの家の象徴だったような時代にポンとピアノをくれちゃった黛敏郎にも驚くのだ。鼻持ちならない右翼だと私が思っていた黛敏郎は、その時どんな気持ちで武満にピアノをあげたんだろう。

先日ラジオにも出ていたけれど、岸惠子の自伝も結構面白い。

アメリカの書店に行くと、必ず「biography」というジャンルの書棚があるんだけれど、日本の書店にはそうしたジャンルはない。エッセーとかノンフィクションなんてところにある。これがとても不思議で、なんで日本にはそういう概念がないんだろうと思うんだけれど、図書館の分類法には「伝記」というのがある。その意味合いの捉え方が違っているのだろうか。