ほぼ足りてまだ欲 その先

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立花隆

NHKがまた「NHKスペシャル・ 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」を放送していた。
前にも見ているんだけれど、また見てしまった。
そしてまた呆れた。

 あの貪欲な知識欲というか、人間にとどまらない様々な事象の境界を見極めようとする欲求というか、好奇心はとことん凄まじい。
「私は勉強屋だ」といういい方はなるほど的を射ていて、頷くしかない。勉強が好きだ、という言葉の本質はこれだな。つまり「勉強が好き」という言葉の意味はかなり昔から、相当曲解されてきた。「勉強」は点を取る、順位を高めるためにするものではなくて、ましてや偏差値の高い学校に入るためにするのではない。それは点を取るために必要な知識を得るということに過ぎない。彼がいっている「勉強」というのは自分の好奇心を満足させるために知識を集めるということだろうか。だから、例えば大谷翔平カットボールを投げるためにいろいろ試したことも「勉強」といえるわけだ。

 突然話は飛ぶが、彼は100時間にも及ぶインタビューを武満徹にした。そしてそれを武満徹の死後、本にした。その中に武満はピアノも持っておらず、紙に鍵盤を書いてそれを抑えて練習したというのが出てくる。それは立花隆の本だけじゃなくて、通説になっている。私はそのまま通り過ぎたんだけれど、ずっと疑問に思っている。紙に書いた鍵盤は確かに88鍵あったとしても、音が出るわけじゃない。それなのに、どうしてそれが練習になるのだろうか。ミスタッチしたってわからないじゃないか。
 そういわれてみると、確か中学か高校の、いやひょっとすると小学校の音楽の教科書にも折りたたまれていたかもしれないが、パラパラと引き出すと、鍵盤が描かれていたような気がする。あれは一体何のために折りたたまれてついていたんだろうか。押しても音が出るわけじゃないのに。