ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

穿ったものの考え方に取り憑かれた老人

日が暮れても、暑さはやわらがない

 小学校4年の夏休み明けに転校しました。夏休み明けの転校というのは非常に効率的です。何がといって実は夏休みの宿題がちゃら!やった!しかし、それが祟って5年生の夏休みの宿題には泣きました。
 ところで4年生の時の高橋先生は非常に工夫をする先生で、多分当時はまだ20代だったのではないでしょうか。小学校の構内にあった教師用の官舎の一つに暮らしていた記憶がありますから、結婚したばっかりだったのかもしれません。この年の国民体育大会は地元開催だったからなのか、高橋先生は槍投げの練習を校庭でやりました。とにかくそれくらい広い校庭だったのです。小学生のソフトボールだったら4面取れたんじゃないかというくらい。都会では考えられない全面土の校庭です。小学生を出入り禁止にしたのかどうか記憶にありませんが、高橋先生は槍の代わりに竿竹を投げて練習していました。多分あの先生は学生の時にやっていたのかもしれないですね。
 で、その先生が子どもたちに勉強させるために思いついたのが、「漢字書き取り大相撲」なるものだったんです。ひょっとすると一学期からそれをやってきたのかもしれませんが、15日間連続して給食の後の時間を使って、10問くらいの書き取りをやらせます。事前に対戦相手が決められていて、どっちが正解が多かったか、によって勝敗を決めるというものです。商品が泣かせるのです。まず、先生が自分で彫った木彫りの優秀盾が授与されます。これは次の場所に返還されます。そして副賞が、学校の前にある文房具屋が扱っている学年雑誌の付録です。付録が余分に書店に配布されるのか、返本しなくて良いのか知りませんが、それを先生がもらってくるのです。転校してすぐの「書き取り場所」で私は圧倒的に勝ち進み、優勝しました。私、徳井満面でした。転校前の学校のレベルが進んでいたせいなのか、私がその頃から本が好きだったからなのか、ダントツです。
 その翌月場所からだったのか、私は優勝から遠ざかりました。なぜか?放送委員に選ばれて、給食時間に週のうち1日を必ず放送機械のある部屋に行って放送をしなくてはならない任務に着いたからです。従って、「書き取り場所」では必ず二日間の休場日ができてしまいます。つまり、不戦敗が二つです。これでは優勝できない。なんでこんなことになったんだろうと当時は思っていたんですが、多分これは高橋先生の工夫のひとつだったのだと思うに至ったのであります。そうすれば、他の子どもにもチャンスが巡ってくるからです。
 転校学力差あるあるですが、これには後日編があります。今度は中学2年の時に、転校で戻ってきますが、その時転校した先で、私は英語で0点を取ったのです。焦ったのなんの。「英語場所」があったら序の口陥落でした。