ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

10米

 

f:id:nsw2072:20190619230036j:plain
この歳になって都バスは年間に千円払っているだけで乗り放題

 私は横浜で生まれたので、路面電車といったら横浜市電だった。市電が最後になくなったのは1972年の4月だった。多分都電も最後はこのあたりまであったのではなかったのか。検索するとこの年の11月だと書いてある。もっとも今でも荒川線だけは走っている。

 小4の二学期から転校した清水市には公設ではなくて、静岡鉄道の路面電車が走っていた。あれは1974年の七夕豪雨でダメージを受け、それっきり復旧することなく、廃線になった。

 その小4の夏休みに、青木橋から市電に乗って、間門小学校まで毎日通った。間門小学校というのは三渓園の下にある。なんでそんなところへ通ったのかというと、それが夏休み臨海学校だったのだ。今では想像もつかないけれど、三渓園の崖下はそのまま海で、遠浅の海水浴ができるビーチだった。それを良いことに全面的に埋め立ててしまって、今はすっかり海岸線からは後退した格好になってしまって、学校の先はタンクだらけになってしまっている。
 どうも今から考えると、市内の各小学校から希望者をつのって開催したのではないだろうか。私はなんでひとりでここに通おうと思ったのか、そこのところが良くわからない。何しろ全く泳げなかったのだ。それがここで毎日泳ぐうちに10米を足をつかずに泳ぐことができて、そこで達成感みたいなものを経験したような気がする。

 そこから清水に転校してからは、夏休みはおにぎりをふたつ持って毎日毎日、本当に一日も休まず、ひとりで海に行き、泳いでいたので、小5の二学期になったら、どこまでも泳げるようになった。不思議なもので、そうなってみるとなんであの頃泳げなかったのか、思いが至らなくなった。それは自転車も同じだし、スキーも同じだった。

 できなかったことが普通に出来るようになると、その苦労、その感じ方を全く忘れてしまう。人間はすぐ忘れてしまう。