ほぼ足りてまだ欲 その先

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新興宗教

その根は深い。

 今回再び脚光を浴びることになった統一教会は私たちの世代には非常に馴染みのある宗教団体で、当時は東大をはじめ多くの大学で原理研と称する、非常に強力なオルグが展開されていて、ほとんどの学生はこの運動を知っていたはずである。知らなかったら、よっぽどのノンポリだろう。彼らの一組織である国際勝共連合街頭宣伝車を盛場に繰り出しては大きな音でスピーカーを鳴らし、宣伝していた。
 それ以前に既に創価学会が富士の大石寺に大きな建物を建てて信者を集めていた。彼らは東京から夜中に品川を出発する団体列車をチャーターしては信者を送り込んだ。それ以前は在来の東海道線、富士から先の身延線に大挙して乗り込み一般の乗客は大いに迷惑を受けていた。私自身、小学生時代に清水から乗った東海道線に、富士からまるで大喧騒が乗り込んできたかのような状態に追いやられた経験を持っている。

 天理教もそうであったように、この種の新興宗教は戦後になって雨後の筍のように起こってきた。統一教会は韓国の文鮮明という男が最初の教祖だったようだけれど、信者から多くのいわゆる「浄財」なるものを集金して、その活動を広めるが、そのほとんどはそのシステムを米国のキリスト教系といわれる新興宗教モルモン教にその範がある。ジョセフ・スミスが天啓を受けて思い立ったというモルモン教イエス・キリストが米国に復活したといい、当時のいわゆる「プア・ホワイト(当時はまだそんな言葉はない)」を吸収していった。産児制限をするな、収入の十分の一を教会に寄進するといった不文律を要求し、その辺は韓国や日本で起こった新興宗教に共通するやり方である。米国の共和党は今回の中絶禁止に見るように、キリスト教福音派に大きく依存しているが、モルモン教も10年前に大統領候補選に名乗りを挙げたMitt Romneyがそうであるように、組み込まれている。

 原理運動が大きく報じられている頃、学食で一人で飯を食っていると狙われるとか、ちょっとなら良いやと話を聞いていると、あっという間に洗脳されて組み込まれてしまうぞ、と脅かされていたが、その甲斐あってか、いつの間にか、名前を変えて今でも存在していることに、あっと驚いた。集金組織は政治屋から見ればちょっと魅力的ではある。これこそ「悪魔に魂を売る」行為と言わざるを得ない。その点ではキリスト教カトリックも大仰な建物を建て、免罪符を売り、立派な集金組織であったことは間違いがない。
だからこそ、政教分離の原則が訴えられてきた。しかし、その典型例である創価学会公明党という政治組織を作り、池田大作をバックに組織票を組み込んでいることは藤原弘達を待つまでもなく、原則を逸脱している。しかし、国会でこれを取り上げると、公明党はいきり立ち、うやむやにする。自民党がこれを咎めるわけがない。自分達もいくつもの宗教団体と連んでいるからである。自民党の多くの議員が名を連ねる日本会議はそもそもその母体が「生長の家」という宗教団体だったことは周知の事実である。考えてみれば、同じように多くの自民党議員が信奉する神道それ自体が宗教であり、戦後廃されたはずの国家神道を目指していることは明らかだ。
 ただ、多くの議員はそれを念頭に置いているから、言質をとられないように行動するが、時折、前後の見境のない森喜朗のような輩が「天皇を神とする国家」なんぞと呟いてしまうことになる。

 つまり、今度の事件も、新興宗教の澱のようなものがたまたま表面化したに過ぎないといっても良いのではないだろうか。今回、岸信介文鮮明が一緒に写っている写真が出されることによって、確かに祖父の時代から繋がっていたことがあからさまになってしまったけれど、それが習慣になってしまっていたつながりを安倍晋三は断つことは出来なかったということでもある。