ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

違う意味での食の楽しみ

雨は絶え間なく降る。
ザァザァ降ったかと思うと、ぽつん、ぽつんだったりする。
霧が舞うようであったりする。
なかなかバライアティ豊富な降り方を見せる。

安倍晋三の葬式は終わったが、岸田文雄は秋に国葬をやるといったそうだ。
戦後この方国葬が行われたのは、佐藤栄作が強行した吉田茂国葬だけだそうだ。
1967年10月31日のことで、場所は武道館だったそうだ。
私は大学生だったはずで、全く覚えていないのは、テンから馬鹿にしていたからだろう。
何しろマルクス主義に煽られていたから、米国の犬たる吉田茂を忌み嫌っていたはずだ。
尤も、それは岸信介の方が役者が上だったことを知ったのは随分後になってのことだが。
そうそう、統一教会の日本での始まりは南平台で、随分いいところじゃないかと思っていたら、それは岸信介邸の隣だそうだ。
そう偶然そんなところから始まるわきゃない。

佐藤栄作の葬儀は内閣と自民党、国民有志による「国民葬」ということだったそうだ。
安倍晋三の葬式だって、それでいいじゃないか。
なんだったら統一教会主催でやってもらってもいいくらいなんじゃないだろうか。

てなことを考えながら、雨の中、隣の区にあるという統一教会、今でいう「世界平和統一家庭連合」の「家庭教会」なるものの所在地を確認なんぞしてみた。駅に近いとあるビルの2-3階にあるんだと看板が出ている。この時期厳重に警戒でもしているのかと思ったら、全くひっそり閑としておった。どうやって調べたのかといえば、そりゃもちろんGoogle mapである。

国電の下を自転車置き場にしている。
それを抜けると諏訪坂という階段だけの坂。
上がると諏訪神社だった。
今度は富士見坂という坂を下り、さてこの先はどっちへ行ったらどこへ出るのかもわからないまま、やたらと布袋様の漫画が壁に描かれた寺をすり抜けて、闇雲に歩いていくと、不忍通りに出た。

そんなに遠くないから、ことのついでに雨の六義園に足を伸ばした。
爺婆は150円である。
この時期、この種の庭園にはなんの楽しみもない。
ただただ、緑が濃くなっているだけである。

だから、それでなくともやってくる人はいないというのに、その上、連日の雨である。
勝手知ったる庭園を、作業をしている二人の植木屋さんの他に人が見当たらない中、よろよろ、と歩く。
松葉の先に着く雨粒が柄にもなく好きで、写真にしようとするのだけれど、雨だからと長い望遠の効くカメラにしなかったのが悔やまれる。半時間ばかりよろよろする中で、すれ違ったのは二人の女性と、やけに派手な傘を刺したおじいさん一人だった。

帰りのバスで上野広小路に出るが、ふと思い立って、不忍池で降りる。
ここもやっぱり人はいない。
鳩以外の鳥もいない。
「もう、終わりでスゥ、またらいねぇ〜ん」といっている紫陽花の名残くらいで、ハスの花は昨日嫌というほど写真にしたから無視した。
広小路からのバスにはべちゃくちゃ喋り続ける馬鹿な女二人がいて、もう一枚マスクを重ねた。

あ、タイトルの意味がそのままだ。
もうあと何食食べられるか分からないから、どんどん好きなものを食べたいなと思うんだけれど、そのためにはなにしろ先立つものが必要だし、そろそろ血糖値が君は危ないんだよ、と医者がいうものだから、今や決まったものしか食わなくなった。
第一食は夜中の0時過ぎ。
レタス・トマト・ブロッコリーコールスローのサラダになんかしらタンパク質。卵はやめろと保守的な医者はコレステロールに問題な数値が出る私に禁止する。今時そんなことまだいってんのかという気がするけれど、一応やめている。
ハムや鶏の胸肉くらいを加える。
第二食は昼過ぎで、ほとんどは蕎麦を茹で、その上にさつま揚げ、長芋、何かタンパク質を乗せたもの。
第一食と第二食の間に菓子パンを一つ食べる。それだけ。