ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

某自民党国会議員

「本日は米国が広島に原爆を投下した日。そして8月9日は米国が長崎に原爆を投下した日です。私達は未来のために前を向いて歩んでいますが、この残虐な行いを忘れる事は出来ないし、米国による我が国の民間人大量虐殺を、茶化して軽んじる事は許されない。」

 ね?では、日本軍がどんなことをしたのか、という点について彼女がコメントを残すとはとても思えない。岡山ではこんなコメントがまともに受け取られるんでしょうか。わが両親も岡山出身で弱ったものだ。ところで誰がどんな具合に、「茶化して軽んじて」いるんだろうか。

本を借り出す

 昨日図書館に行ったら、日曜日は17時に閉館で、入れなかった。日が落ちてから出かける自分が悪い。

 今日の「大竹まことのゴールデンラジオ」に古谷経衡が出てきて広島被爆記録の本を紹介していた。

「なみだのファインダー―広島原爆被災カメラマン松重美人の1945.8.6の記録」中国新聞社のカメラマンが直後にカメラを持ち出して撮影したもの。

 「原爆体験記 (朝日選書 42)」

 「ヒロシマはどう記録されたか~NHK中国新聞の原爆報道」NHK出版

 「広島原爆戦災誌 (1971年)」『広島原爆戦災誌』は昭和37(1962)年4月、広島市企画調査室において編さんに着手された。同年12月には、広島平和記念資料館がその業務を引き継ぎ、昭和46年8月6日に第1巻を、同年12月8日に最後の第5巻を刊行した。全巻をpdfで公開している(pdf閲覧をしようとするもリンクが切れているのかもしれない)。
www.city.hiroshima.lg.jp

 このうちとりあえず「なみだのファインダー」と「ヒロシマはどう記録されたか」の2点を借り出してきた。
知らなかったのだけれど、先々代の江戸家猫八(岡田六郎)はその日宇品の暁部隊にいた。すぐさま救助命令が出て救助に向かった。多くの犠牲者を宇品に運び、そこから似島へ運ぶ。それから38年後、猫八はNHKの特別番組に出演。まさにその宇品の現場からカメラに向かって喋ったけれど、あの猫八が一気に当時が蘇ってしまって、声が上ずっていたんだと160頁に書かれている。

台風の余波なのか今日の雲はてんで勝手な佇まいの連続だった。