ほぼ足りてまだ欲 その先

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高炉休止

 川崎の扇島地区にある二本の高炉がいよいよ休止になったそうだ。1970年代、高度経済成長期の真っ只中で最新鋭の工場として設立されて以来、ほぼ半世紀の寿命だった。一号炉の火入れが行われたのは多分1976年になってからで、その年の7月だったかに移動になって本社に行った直後に本社の社員全員にも記念の文鎮が配られたことを覚えている。しかし、全く異なる事業部で仕事をしていた私達にとっては「なんだ、これ?」くらいのものだったから、その文鎮をどうしたか、全く記憶がない。だいたい文鎮なんてなにに使ったんだろう。

 1982年10月から約三年半に広報セクションで自分の出身事業部を担当したが、どうしても各紙の記者を工場見学に案内することになることが多く、門外漢の私も何度も何度も案内することがあった。最初の頃は現場の広報担当に手伝ってもらっていたんだけれど、そのうち慣れてきて、ひとりで案内するようになる。ところがあのバカバカしく広い工場の中を見学通路に従って案内するうちに、次へのポイントを見失って迷いそうになったこともある。道を誰かに聞こうにも何しろ工場の中に人が見当たらない。見学者を動かないでね、と制しておいて、走り回って次のポイントを探し当てた時は、すっかりくたびれた。
 名古屋の某リーディング企業の工場にいった時に、入っていったタクシーが構内専門の製鉄所パトカーにビビっていたのが印象的だった。下手に速度違反をして摘発されると、切符を切られて、何回かすると出入り禁止になるというのだった。それとおんなじことをその工場でもやっていた。自警団みたいだ。もちろん自前の消防隊もいた。

 高炉を動かしていることがその国の経済の象徴みたいになっていた時代がこの国にもあった。某リーディング企業がどんどん中国へ技術を移転していった結果、中国の経済力はあっという間に発展した。ブーメランだと揶揄された時代だった。

 確実にこの国の経済力は低下の一途を辿っている。重厚産業から転換して成長した産業が見当たらない。ITだといっても、他国に大きく水を開けられている。やっぱり経済は人口に裏打ちされることになる。何しろ絶対数が多ければ、それだけ才能の絶対数も多くなる。
 大変に申し訳ないけれど、これから先のこの国にはほぼ貢献できることは私には残っていない。あとは、間違った政策が舵を握らないように、見張っていくだけだ。