ほぼ足りてまだ欲 その先

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労働環境

 これだけ長いこと「不景気」ってことにしておくと、企業側としては人事管理はとてもやりやすい。かなりな点で無理強いが効く。はっきり言って「いやなら辞めろ」というスタンスが取りやすい。
 私が就社してすぐにいわゆる「石油ショック」というものがあって、日本は大きな影響を受けた。何しろ注文を貰っていた発注企業に対してこのEnergy Crisisにあって、契約金額を改定させて貰えないだろうかというリクエストを出したことを覚えているくらいの状況だった。ところが発注者側もそう簡単ではなくて、契約通りに商品を受け取ってしまうとその運転経費がすぐさま発生してしまうので、しばらくOKが出るまで引き取りをまってくれろという驚くほどの発想だった。
 そんな状況が突然起きたものだから、その前年に現場製造工場要員として採用されたばかりの高校卒の新入社員にやらせることがぱったりなくなってしまった。そんな時に労働管理部門が何をやったかといったら、「研修」と称する、米国海兵隊もかくやと思われるキャンプだった。「こんな筈じゃなかった」という気持ちを持たせて自ら辞める人間を期待していたに違いない。
 あの頃と大差のない、「いやになるような」労働環境が蔓延する。
 私たちは戦後の「貧乏から立ち上がる」価値観に支えられた環境で育ったものだから、多少の労働環境の貧困さに耐えるのが当たり前だと思っていた。あるプロジェクトで発展途上にある国に出かけた時のこと。私たちはある程度の居住区間での忍耐は当たり前だと思っていたので、「ここまでのものを持っていくのは贅沢だよ」的な感覚を持っていた。そこへある先輩が「その感覚をいつまでモモって仕事にいくのでは、いつまで経っても米国的プロジェクト運営に勝てない」といった。彼がいうのは極論をすれば本国にいるのと同様な住空間を保持して初めて思いっきり力を出すことができるのだということなのだった。確かに、充分に高度な品質を確保するためにはそこまでの感覚が必要なのだろう。しかし、悲しいことながら私たちには貧乏な発想しか生まれてこなかった。
 今の企業経営はそのレベルに落ち込んでしまった。良き労働環境は労働者からできるだけ取り上げるべきものだという感覚が「コストダウン」の号令の中に育っている。それでは日本経済は勝てないのだとしたら、方向性が間違っているというべきではないだろうか。