ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

八代目正蔵

 相変わらずのとても秋とは思えない気温で、シャツ一枚でなんの不便もない。
ついつい、表に出なくちゃなと思うんだけれど、日頃は行先がない。
ところが今日は行先がある。
根岸の古本屋がほとんど毎日というほどFaceBookに蔵書を載せている。
この古書店は変わった傾向の本を集中的に扱っている店で、ほぼこの店の傾向にはなんの興味もないのだけれど、かつて中央区にあった頃から何故かフォローしている。


 その店の情報の中に昨年中公文庫になった「八代目正蔵戦中日記」なるものがアップされていた。これは今まで見たことがなかったけれど、奥付を見ると2014年に青蛙房から出版されたものだという。それも知らなかった。編者は墨田区の「墨亭」という会場を主催している人だそうだ。あ、それで八代目の弟子だった正雀さんが「墨亭」に出られたりしているんだろうか、行ったことはないが。八代目が他界してから今年はもう41年になるんだそうで、思わず、えっ!そんなに経つの!と声に出してしまった。


 巻頭の写真を見ると、筆で書かれた日記だったようだ。最初っから面白くて、なんだか読み進めるのがもったいない。その最初なんだけれど、息子の司郎氏は15歳の時から役者の花澤徳兵衛のところへ修業に入ったと書いてあるが、それは住み込んでいたということみたいで、姉の言によれば、正蔵師は晩年寂しいから帰ってこいといい、息子は帰ってきたものの、暮らしにくくて直ぐに元へ戻ったという。不思議なことだよなぁ。
長女の一言もとても良い。
 何しろ昔の人だから出てくる噺家も昔の人で、三木助だって今の三木助のおじいさんのそのまた前の三木助だし、談志だってあの談志の前の談志が出てくる。
 八代目は京都の石清水神社を信仰していたそうで、それで「東京の石清水様の分院である蔵前八幡神社玉垣に八代目の名前がある」と正雀さんがいっている。裏前八幡神社ってどこにあるんだろうと思ったら、なんだ、あの相撲取りの名前が玉垣にある、ミモザの蔵前神社のことだった。灯台下暗し。

 こりゃいいものを見つけた。

 もののついでのように、目についたこれも一緒に勘定してもらった。和田誠話の特集時代から好きだった。誰でもが知っていることだけれど、彼は平野レミの旦那だった。久米宏の本「久米宏です。」にも書かれているが、久米宏と一緒に「男が出るか!おんなが出るか!」と叫んでいた平野レミを紹介してくれと久米宏にいったのは和田誠だそうだ。しかも彼は「彼女と結婚したいから紹介してくれ」といったんだそうだ。しかもあの声に一目惚れしたという。久米はやめたほうがいいといい、ならばと和田誠はディレクターの橋本隆に頼み込んだそうだ。そして一週間後には結婚することにしたんだというんだね。なんで久米宏和田誠は知り合いだったのかというと、麻雀仲間だったと書いている。久米宏は今79歳、黒柳徹子は90歳になる。

 しかし、この本を拾い読みすると、ライト・パブリシティに入社する話から書いているが、これはどこかで読んだような気がする。


 近辺の食い物屋はあっちもこっちも人が行列を作っていて、一体何事かと思ったら、今日から三連休なんだった。こういうのを豪州ではLong Week Endと呼ぶ。