ほぼ足りてまだ欲 その先

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林家彦六

稲荷町の師匠として知られた先代の林家正蔵はその高座名を、先代林家三平の息子、当時はこぶ平、に返して、自分は彦六と名乗りました。
当時、私はなんであんなに芝居噺で名高い正蔵の名前を、あんなバカみたいなこぶ平に返すんだろうと思っておりました。

先代三平のそのまた父親が七代目正蔵
彼は1919年に初代柳家三語楼に入門。55歳で他界。
時に長男三平はまだ父親に入門して三年目くらい。
それでも前座はたったの一年半くらいで、もうその時は東宝名人会では二つ目になっていた。
しかし、落語協会で一からやり直しとなる。
真打に昇進したのは1958年10月32歳で真打昇進。
もうすでにテレビの寵児となっていた。
1980年に父親とほぼ同じ、わずか54歳で他界。

八代目の正蔵は17歳くらいの時、1912年に二代目三遊亭三福に入門。
1918年2月に二ツ目昇進
二ツ目のまま「三代目三遊亭圓楽」襲名(因縁でございましょうかねぇ。)
1920年6月、真打昇進(早いねぇ〜!)
1928年4月 「五代目蝶花楼馬楽」襲名
1950年4月22日、一代限りの条件で海老名家から正蔵名跡を借り「八代目林家正蔵」を襲名
1978年 落語協会大分裂騒動
1981年1月下席より「林家彦六」に改名
1982年1月29日 86歳没