ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

風呂をつくる

京橋の十月桜


 風呂の準備をすることをうちでは「風呂をつくる」といっている。それはもっぱら私に課せられた作業である。
風呂桶をきれいに洗って、最後に栓をしてお湯を注ぎ始めれば、それで蓋をしておしまい。
そのたびに思い出すことがある。
大学二年生の時、つまり1968年の夏休みに私は某企業の箱根寮の住み込みバイトをやっていた。
友人のお父さんがそうした更生施設の担当だったようで、その友人の後釜のようにして箱根へいった。
昼飯時にテレビを付けると、ピンキーとキラーズがでてきて「🎶わぁすれられないわぁ〜」と歌っていた。
当然温泉の比較的大きな風呂だった。
それをふたつ(男湯と女湯)洗って、庭の掃除をするかかりだった。

それがある日、夕方に「風呂にお湯がない!!」と大騒ぎになった。
私が差し込んでいた風呂の栓が完全でなかったのだった。
今みたいに金属の排水口に硬質ゴムの丸い栓をはめるというわけではなくて、短い丸太のような木に布切れをぐるぐる巻いてそれを穴に突っ込む、という非常に原始的な栓だったからうまくはめ込むことができなかったのだろう。当然お客は大騒ぎになる。私はいたたまれない状態に追い込まれたところまでしか覚えていない。


 友人の奥さんがずっと続けている刺繍の会の発表展示会が銀座であって、二人で出かけたけれど、私はずっと見るきになれなくて、某旅行代理店に話を聞きに行く。ある外国の旅行会社の代理店のひとつだと書かれていたからだけれど、出てきたお歳のおじさんは、ツアーを組んでいるけれど、その機関だけの代理業はやっていないという。


 一万歩歩いて草臥れた。