ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日本名

 柿がフランスで人気だ、という記事をFBで読んだ。そういえばイタリアの八百屋の店頭に「Kaki persimmon」と英語で書いてあったのを思いだした。あれはいったいどこから来た柿だったんだろう。この種のものでは「Nashi Pear」とか「Shiitake mushroom」とか「Fuji apple」なんてのに出逢ったことがあった。日本発祥のものだってことですかね。
 かつて外国では日本の野菜や果物は全く見かけなかった代わりに、中国野菜はあっという間に普及した印象がある。中国からの移民が増えるとすぐさまそうした需要を満たす農業ができるというのは素晴らしいことだ。中国人が増えると豆腐も増える。昔はハウスの豆腐キットか、森永のパック充填豆腐くらいだったような記憶だ。ロンドンに船が行くと聞いて、大根を持っていって貰ったこともある。豪州に南極観測船が立ち寄ると地元の邦人を招いたレセプションがあって、おでんを食べさせて貰ったことがある。あれは旨かったなぁ。
 今New Yorkで流行っている「Kombucha」は昆布茶じゃないですからご用心。

アルツハイマー

 昨日は「世界アルツハイマー・デー」だったそうです。
 怖ろしいですねぇ。いつやってくるんだろうかと、恐怖に駆られます。しかし、なってしまったら、自分は多分なにも困らないわけです。なんだかわからないんだから。困るのは周囲の人間達です。だって、なんだかわからなくなっちゃうんだから。
 うちの場合だと、アルツハイマーに限らずに、認知症を発症しそうなタイプといったら、当然私の方だと思います。なにしろ、性格的にショート・テンパーであること、単純に思い込んで落ち込む傾向にあること、なんてところを見ていると、今でもひょっとしたらそういう傾向にあるんじゃないかと疑わしく思いますよ。
 つれあいの両親は比較的早死にで、70代で逝ってしまいました。だから、わけわからなくなるということはありませんでした。その前でしたから。うちの両親はふたりとも80代半ばまで生きましたが、オヤジは私の知らないうちに入院検査をして、その時に検査の失敗で死にました。おふくろが、ある日気がつくと時々わけがわからなくなってきていました。おかしいなと思ったあたりから、あれよあれよとわからない時間が増えていきました。それでも、あれ!なんともないじゃないか!と思うような時間もありました。すぐ上の姉が隣に住んでいたので、なにかといっては音楽を聴かせたり、録画の時代劇を見せたりこまめにやっていましたが、驚くべきことに、時々全くまともになって、「お葬式に来てくれた人に挨拶するわ、録音して!」といって録音を残しました。それを告別式に来て下さった皆さんにお聞かせしました。
 しかし、かなりひどくなってからは、私のこともわからなくなっていましたし、独り言の中に良いお婆さんと、悪いお婆さんが会話をするようになりました。あれは本当に認知症だったのですかねぇ。「そろそろお腹が空いてきたわねぇ、ご飯はまだかしら」「もうなんだかやっているみたいだから、そのうちよ!」とひとりでいっているのを聞きながら、おふくろが好きな鰤大根を焦って煮た記憶があります。
 私がそういう状況になったとき、つれあいは困るだろうなぁと、今から「なるかも知れないぜ」といっているのですが、もうそれはやめよう。その時になったらどうにかするしかないんだから。
 今の政権では、社会的システムがこの状況を支えてくれるようになるとは、とても思えませんね。

あっという間

 あれっ!と気がついたらもう一週間経っていて、週末になっちまった。できるだけ平日に外に出て、人が来るようなところを歩いてしまえば、週末に人様のご迷惑にならずに済むと思っていたのに、喰っちゃ、だらっと寝、という毎日を過ごしているうちに、またまた週末が来てしまった。挙げ句の果てに、今週末もまたロング・ウィークエンドだっていうじゃないの。日本はお休みだらけでございますねぇ。三連休が連続でございますよ。
 そうそう、外務省の在外公館という奴は、日本の祝日も現地の祝日もお休みなさっておいででしたが、今時まさかまだそのままではないでしょうねぇ。
 豪州で人身御供にあっていた間、彼らのお休みには随分羨ましい思いをしたものでございました。私が拘束されていた(知らないで自分ですり寄っていったというバカな選択でしたが)事務所は豪州法人でありながら、豪州方式休暇を取るなんてとても考えられないシステムでございました。ま、システムというほど完成されたものではなくて、ただ単に日本人雇われ社長が東京受けの良いようにやっていただけでございます。
 豪州企業は普通の有給休暇の他に、sick leaveという病欠有給休暇なるものがございますので、みなさん、病気になったら困るから有休を使わないということがありませぬ。わたしはかつて、日本企業で働いている若い頃に、年度末になって有休残り三日という状況で「今年は完璧だ!」と思っていたら、なんと出張先でぎっこり腰を発症。一週間寝る羽目になって、見事三日間の欠勤という奴をやらかしたことがございます。この欠勤は次のボーナスにものの見事に反映して返ってきました。自業自得という奴です。それから、肝に銘じて、有休消化に消極的になり、典型的な「日本のサラリーマン」道を極めてきたわけです。
 挙げ句の果てに、彼らは何年かに一度、6週間の有給をいっぺんにとるなんてことが許されていたようで、事務所に郵便物を持ってきてくれるポストマンがある日「明日から6週間、私じゃない奴が来るから」といって北部キャンピングカーの旅に出かけていきました。うわぁ!羨まし!
 他の会社に電話をします。いつもの相手を指名すると、ホリデーでいないという。えっ!じゃこの件は誰がフォローしてくれるの?と聞くと、奴が帰ってくるまで待っててくれ、と平気で仰る。だから、職場の他の誰かに負担がかかってないってことなんでしょうか。良い職場だなぁと思ってましたが、今でもそうなんですかねぇ。
 駐在員でそのまま現地の企業に転職してしまう人が何人もいるのは当然のことでございます。あの頃あった、あの人達は皆さんどうしておいででしょうねぇ。

雑誌

 大宅壮一文庫ってのがあるって聞いたことがあるんだけれど、一度行ってみたいなぁ。京王線八幡山という駅から歩くらしい。一度も行ったことがない。なんでも雑誌が保管されているらしい。
 雑誌といえば、そうそう長続きする雑誌というのは存在しないでしょ?昔よく読んでいたけれど、今はとっくになくなっている雑誌というものがたくさん存在します。今でもとりだして読むと面白い雑誌のひとつに「話の特集」という雑誌がありました。矢崎泰久がやっていた雑誌だけれど、永六輔野坂昭如殿山泰司平野威馬雄、それぞれにつながる人たちや横尾忠則をはじめとするイラスト界の人たちが登場する雑誌で、紆余曲折あったが1995年に廃刊になっちまった。寿命30年だ。あれだけの執筆陣を誇りながらたった30年だ。
 1973年に創刊された「Wonderland」という雑誌があった。晶文社が出した雑誌で責任編集・植草甚一だった。晶文社といえば植草甚一だ。そういえば彼も「話の特集」に良く登場した。確か「Wonderland」という雑誌名が著作権に触れるとかなんとかで、すぐさま「宝島」という名前に変わった。それから発行元がJICC出版に移って今の「宝島」になる。宝島は当初なかなか遣り手の雑誌で、伊丹十三中山千夏が面白いことを書いていたような気がするが、いつの頃からか知らないが、なんだか私の守備範囲ではなくなっている。
 論壇雑誌というものはすっかり影を潜めてしまって、今ある論壇雑誌というのは哲学系のものくらいだろうか。かつて存在した「現代」や、朝日新聞系の「論座」がなくなってしまった今、その点で孤高を守っているのは岩波書店の「世界」位なのではないだろうか。この雑誌は本屋によっては置いてない。どうも書店の買い取りなんだろうか。うちの近所の書店なんぞはもはやコミックと地元を題材にした本しか置いてないから無論扱っていない。ちょっと先の書店ではこの雑誌だけ先月号がある。なぜかといえば売れ残ったわけだ。
 私はこの雑誌を微力ながら支えようとして(蟻の一穴・・たとえとして不適切、アハハ!)毎号買っている。で、家族から置き場に顰蹙を買っている。自分の寝床の周りに積んである。
f:id:nsw2072:20180921172613j:plain:w360:right 今朝、ふとその山に目をやってみると、妙に紙が茶色くなっている号がある。1992年3月号とある。そんなに古くはないじゃないかと思ったけれど、考えてみると26年前になる。なんでそんな号があるのか。当時、私は岩波書店を支えよう(大げさ)とは思ってもいなかったはずだ。なんでそんなときの「世界」があるのか。
 目次を見ると、特集は中国だけれど、当時そんな興味はなかっただろう。姜尚中の「歴史との戦いは終わったか」を読んだんだろうか。「ニッポンを見つめる日系人」特集だったのだろうか。あるいは「オーストラリアの裁判記録に見る朝鮮人BC級戦犯の死」なんだろうか。
 それにしても私がこうした項目に興味を持ったのは、ほぼ豪州に暮らした1995年から1998年にかけてのことであって、その後の号ならば興味を持って買っていたことはわかるのだけれど、その辺のタイミングが合わない。しかし、たったひとつ付箋が貼ってある頁があって、そこはドミニカ移民の苦境を伝える部分だった。これはどう考えても、どこかでこのバックナンバーをあとから入手したと考えた方が良いのかも知れない。しかし、いったいどこからだろう。図書館の廃棄本である形跡も見られない。

追記:新潮45が完売したって!?売れりゃなんでも良いって方針なんだろうなぁ。

ご馳走

 時の権力がマスコミにご馳走します。嬉しそうに皆さんお集まりになります。マスコミが権力と仲良くすることの意味はすぐわかっちゃう。「俺の悪いことを書くなよ」です。いやいや、「私たち権力を握ったものが独走しないように木鐸を鳴らして下さいね」といってご馳走するのかも知れませんよ。権力とはかくあるべしだといって。もしそうだとしたら、これは素晴らしい政治権力ですよねぇ(薄ら笑いをしながら書いてますが)。
 今の政治権力が大好きなマスコミ経営者は誰かといったら、渡邊恒雄と日枝久じゃないですか?ナベツネこと渡辺恒雄といったら、今でこそほとんど表に出てきませんけれど巨人のオーナーで読売新聞の主筆でした。もう既に92歳です。日枝久といったら、フジサンケイグループの親方です。フジテレビの生え抜きです。もう80歳になりました。彼が一番表に出てきたのは、ホリエモンニッポン放送を買い取るといったときではないでしょうか。あれ以来彼の顔を見た記憶がありません。
 読売新聞と産経新聞、そして日本テレビとフジテレビが時の権力の広報機関であることは良く知られているわけですけれど、そんな簡単なことが理由になっているわけじゃないですよねぇ。時の権力からご馳走を戴いただけで走狗となるなんて。
 日本テレビといったら民放の中でもテレビの開拓者ですよ。放送認可の申請は日本放送協会よりも早かった、けれど認可は日本放送協会に先に下りた、という話を聞いたことがあります。日本の原発の旗を振ったのは読売新聞の社主であった正力松太郎で、彼はCIAにつながっていたのだということをいう人だっています。とはいえ、テレビはアジア太平洋戦争後の話です。
 じゃ朝日新聞はどうなんだといったら、時の権力からは「敵対している」との認識を勝ち得ています。つまり、批判しているわけです。何かというと、産経新聞なんぞは慰安婦問題で嘘を報道した朝日新聞と指摘しています。時の権力が国会で朝日新聞を語るときには未だにカメラマンが自分で珊瑚に傷をつけて、こんなことをした奴がいると報じた事件を取り上げて揶揄しています。1989年、平成元年の事件ですから、もう30年前のことになります。朝日新聞はこんな反日マスコミだといわれていますが、アジア太平洋戦争が勃発した頃、戦争報道で大本営に屈して戦意高揚報道を致しました。そういう過去を抱えています。何しろ当時の新聞が売り上げを増やすためには「勝った!勝った!」を書くことだったわけです。その過去を悔いているマスコミの筈です。
 朝日新聞反日マスコミだとしたら、読売・産経は日本絶賛新聞だということになるわけでしょうか。
 あ、こんなことをいいたくて書き始めたんじゃなかった!

民放連(=日本民間放送連盟)は、憲法改正の是非を問う国民投票の前に放送できる政党などによるテレビ・ラジオCMの量について、自主規制しない方針を決めた。(日テレNEWS24 2018/9/20(木) 17:44配信)

 これです。儲かればなんでもやるんだって。日本国憲法に敵対する国家とマスコミってことで、如何ざしょ?

戦後

9月7日午後10時半ごろ、沖縄県読谷村で米兵による住居侵入事件。
 発生時、事件があった男性宅には男性の娘である高校2年の少女と生後5カ月の女児だけだったことが19日までに分かった。家に侵入した米兵に、少女は「殺される」と妹を抱きかかえてはだしで窓から飛び出し、近隣の知人宅に逃げ込んでいた(琉球新報2018年9月20日 13:37)

 アジア太平洋戦争が終わってからもうそろそろ80年になろうとしている。この時期でもまだ沖縄ではこんなことが起きている。東京でこんなことが起きたら、どんな騒ぎになるだろうか。なんで「沖縄」だと、全国版テレビでも新聞でもほとんど語られないのか。いくら酔っ払っているといっても、平気で上半身裸で嘉手納基地所属の陸軍上等兵(23)のようによそのうちを叩いたり、入ってきたりするだろうか。
 こんなことすら解決できずにどこが「国を守り、国民を守っている」と豪語できるのか。結局おいしいことをいっているけれど、この6年間なんにもしない、なんにも解決していない。
 私たちはぼぉ〜ッと生きているだけなのか。こんな状況をひっくり返さないのか。取り返さないのか。

スイス 山 事故

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今年の1月から6月までの間、スイスの山で亡くなった方は80人、前年の同時期に比べ2倍も増えた

スイスアルペンクラブ(SAC)がチューリッヒ新聞の日曜版(NZZ am Sonntag)で発表したものだそうです。その前年は減少した、と報じられていましたから、安心なんてできないってことでございましょう。

 主な要因として、冬に積雪や雪崩が多発したことや、安定した天候が5月末まで続いためにスキーなどを目的して訪れる人が増えた

 ま、極く道理でございましょう。なんでも今年前半の冬の天候はかなり荒れたんだということを聞いております。
男性が全体の約4分の3。外国人観光客の割合は全体の約半分。意外なことにマウンテンスポーツよりも危険度が低いと思われがちのハイキング中に起こるとのこと。同クラブの1984年~2017年の統計調査でも、ロッククライミング中に発生した致命的な事故はたった4%だったのにもかかわらず、ハイキング中は37%と最も高い発生率。
 これは多分、滅多にそんなところを歩かない、つまり私たちのような連中が外国からほいほいやってきて、TMB(ツール・ド・モン・ブラン=モン・ブランの周りをぐるっと巡るルート)の様なところを歩いたりするからではないでしょうか。装備は買えるけれど、経験や、習熟度なんてものはその辺で売っていませんからね。危うくこの統計の中に加わってしまうところでした。未だにトラウマになっていて、想い出すと、怖い。