ほぼ足りてまだ欲 その先

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雑誌

 大宅壮一文庫ってのがあるって聞いたことがあるんだけれど、一度行ってみたいなぁ。京王線八幡山という駅から歩くらしい。一度も行ったことがない。なんでも雑誌が保管されているらしい。
 雑誌といえば、そうそう長続きする雑誌というのは存在しないでしょ?昔よく読んでいたけれど、今はとっくになくなっている雑誌というものがたくさん存在します。今でもとりだして読むと面白い雑誌のひとつに「話の特集」という雑誌がありました。矢崎泰久がやっていた雑誌だけれど、永六輔野坂昭如殿山泰司平野威馬雄、それぞれにつながる人たちや横尾忠則をはじめとするイラスト界の人たちが登場する雑誌で、紆余曲折あったが1995年に廃刊になっちまった。寿命30年だ。あれだけの執筆陣を誇りながらたった30年だ。
 1973年に創刊された「Wonderland」という雑誌があった。晶文社が出した雑誌で責任編集・植草甚一だった。晶文社といえば植草甚一だ。そういえば彼も「話の特集」に良く登場した。確か「Wonderland」という雑誌名が著作権に触れるとかなんとかで、すぐさま「宝島」という名前に変わった。それから発行元がJICC出版に移って今の「宝島」になる。宝島は当初なかなか遣り手の雑誌で、伊丹十三中山千夏が面白いことを書いていたような気がするが、いつの頃からか知らないが、なんだか私の守備範囲ではなくなっている。
 論壇雑誌というものはすっかり影を潜めてしまって、今ある論壇雑誌というのは哲学系のものくらいだろうか。かつて存在した「現代」や、朝日新聞系の「論座」がなくなってしまった今、その点で孤高を守っているのは岩波書店の「世界」位なのではないだろうか。この雑誌は本屋によっては置いてない。どうも書店の買い取りなんだろうか。うちの近所の書店なんぞはもはやコミックと地元を題材にした本しか置いてないから無論扱っていない。ちょっと先の書店ではこの雑誌だけ先月号がある。なぜかといえば売れ残ったわけだ。
 私はこの雑誌を微力ながら支えようとして(蟻の一穴・・たとえとして不適切、アハハ!)毎号買っている。で、家族から置き場に顰蹙を買っている。自分の寝床の周りに積んである。
f:id:nsw2072:20180921172613j:plain:w360:right 今朝、ふとその山に目をやってみると、妙に紙が茶色くなっている号がある。1992年3月号とある。そんなに古くはないじゃないかと思ったけれど、考えてみると26年前になる。なんでそんな号があるのか。当時、私は岩波書店を支えよう(大げさ)とは思ってもいなかったはずだ。なんでそんなときの「世界」があるのか。
 目次を見ると、特集は中国だけれど、当時そんな興味はなかっただろう。姜尚中の「歴史との戦いは終わったか」を読んだんだろうか。「ニッポンを見つめる日系人」特集だったのだろうか。あるいは「オーストラリアの裁判記録に見る朝鮮人BC級戦犯の死」なんだろうか。
 それにしても私がこうした項目に興味を持ったのは、ほぼ豪州に暮らした1995年から1998年にかけてのことであって、その後の号ならば興味を持って買っていたことはわかるのだけれど、その辺のタイミングが合わない。しかし、たったひとつ付箋が貼ってある頁があって、そこはドミニカ移民の苦境を伝える部分だった。これはどう考えても、どこかでこのバックナンバーをあとから入手したと考えた方が良いのかも知れない。しかし、いったいどこからだろう。図書館の廃棄本である形跡も見られない。

追記:新潮45が完売したって!?売れりゃなんでも良いって方針なんだろうなぁ。