ほぼ足りてまだ欲 その先

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古本屋

お寺さんにはよくソメイヨシノが立派な花を咲かせる

 ちょっと離れたところに何年か前に佃島あたりから引っ越してきた古本屋があって、ここの発信を見ていると、どうやら耽美派というか、ちょっと変わった分野をカバーしているらしいのでほぼ用なしだと思っていたんだけれど、それでも一度は見ておかないと散歩の目的地として出かけた。ちょっと変わったと云う分野はイラストで云えば宇野亜喜良とか、小説で言えば家畜人やプーとかO嬢の物語とかというとご理解戴けたりするのではないか、という気がするのだけれど、どうだろうか。

 店の中にはいると大きく分けて奥のブロックと手前のブロックに分かれているんだけれど、その耽美派的な書籍はあまり店頭に出していないように思える。書棚を見ると割と普通の古本屋なんだけれど、私の分野とはあまり重ならない。そんな中、植草甚一の「知らない本や本屋を探したり読んだり ワンダー植草・甚一ランド 第二集アメリカ篇」が2,200円だった。これは読んでみたいと云うよりも持っていたい。大体植草甚一は昔から持っていたかった。しかし、懐具合がそれにそぐわしくはなかった。植草甚一をどうして知ったかと云えば、それはもう「話の特集」なのであって、あの月刊誌のおかげで当時のサブカルチャーを知ることができたといってよろしい。当然この本は晶文社から出ていて、表紙は湯村輝彦です。

 ひょいと書棚の上を眺めているとなんか文字が眼に引っかかった。流れていく目線を元に戻してみると(最近の若い人たちはこれを二度見すると表現するんだよな)、筑紫哲哉だった。なんだろうと良く見ると1984年に筑紫哲也を編集長に迎えた朝日ジャーナルが、誌面を一新したときからはじめた対談を、朝日ジャーナル上に掲載された圧縮版でなく、全体をのせたものを四分冊で出したものだった。当時はもう朝日ジャーナルを読むこともなかったので、その対談そのものを知らなかった。Part 1の浅田彰からPart 4の田中康夫まで、さすがに全員とても若い!村上龍が「ナチスやイタリアのようなファシズムはもう起こらないと思う」といっているのが今となっては虚しい気がしないでもないが、今の村上龍プーチンのことを聞いてみたいよね。

 古本屋の行き帰りに、昔お手伝いしていたボーイスカウト団の若手と、先輩に遭遇した。話は昨年COVID-19禍の中にあって72歳で他界した人の話と、今年76歳になるひとり暮らしの人のことだった。こんな流行病がやってきていなかったら、毎年バザーや年末の餅つき大会なんかで昔のメンバーとも交流をすることができるのだから、そんなことはなかったんだけれど、今ではこうして、思いもよらないところで思いも寄らない人のことを訊いて驚く場面が出てくる。
 ビックリしたのはその先輩の奥さんと、うちのつれあいがどうも同じ学校の同じ学年だったようで、30年間そのことに誰も気がついていなかったということだったなぁ。もっとも当時のあの学校はクラス替えがほとんどなくて、12クラスもあったというからわかるわけがない。私の中学は毎年クラス替えがあったのに、16クラスもあったから、全く分からなかったのである。