ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

逆戻り

 やれやれ、また今日は最高気温が33℃になるとテレビの天気予報がそう言った。それを聞いただけでもうすっかり、だるくなった。

 亡くなった高円宮さんの奥さんがL.A.の日系人祭にお出かけだったと聞いて、そういえばこの人はどんな人だっけと気になったんだけれど、こんな時にウィキペディアはすごいなぁ。あっという間に出てくる。旧姓「鳥取」さんという民間人らしいんだけれど、親は三井物産だし、四国の旧家の出身で、聖心女子からケンブリッジだってんだから、ま、私らみたいな普通のその辺の庶民じゃない。しかし、旦那さんの宮さん、ま、三笠宮の三男、が亡くなったあともそのまま殿下のままだ。この辺が皇室典範ってのは面白いものがあるよなぁ。娘は結婚したら皇族じゃなくなっちゃうんだけれど、民間から貰った嫁さんは旦那が死んでも別に民間人に戻るわけじゃない。三人の娘さんもおられるけれど、一番上の人だけ結婚したという話を聞いていない気がする。下のふたりは結婚して民間人になったんだね。
 ちなみに三笠宮家は息子三人ともすでに死んでしまった。現在の三笠宮家の当主は崇仁親王妃百合子殿下、現在の皇族最高齢の96歳だけれど、女性ばかりになってしまった宮家で、早晩断絶するっちゅうわけだ。そうそう、例の髭の殿下の奥さんというのが麻生太郎の妹信子つう人で、この人もかなり病弱つうことらしい。ところでこの人もそうだけれど、勲一等というのがついているんだけれど、それっちゃなんね、と聞きたくなる。百合子さんと信子さんの間もさることながら、信子さんは娘さんとのあいだもおよろしくないらしくて、巧くいっていないらしい。どうでもいいんだけれど、つくづく皇室ってのも良くわからんのだよ。

夜になってようやく思いだした。今日は9月2日じゃないか。東京湾のミズリー号上において、11カ国が連名で降伏文書に調印した日だった。ニュージーランドの代表が署名欄を一行すっ飛ばした、あの文書だ。正式にこれで連合国に敗戦が決まった。ここから7年間の占領期間に入る。しかし、よく考えれば、このまんまずっとアメリカに占領されているようなもんだ。ま、もう少しマシで、植民地になったようなものだ。なんでもやられ放題だし、彼らは入国管理局なんてすっ飛ばして平気で入国してくるしな。やられたい放題だ。いったいいつになったら本当に独立できるんだろう。中国共産党に弾圧されてしまった香港みたいなもんだ。

  • ぺぺ桜井を見るのはちょっと苦手。はっきりいって辛いんだよね。

9月1日

f:id:nsw2072:20190901184810j:plain:w360:left もちろんあの未曾有の天災、関東大震災の日だ。もう96になる。直下型だったし、被害は大きかった。何しろ燃えた。問題はその後だ。朝鮮人虐殺が起きた。殺しに来るとか、井戸に毒を放り込んだ!といったデマがあっという間に拡がって、通りかかる朝鮮人を街の住民が撲殺したと記録がある。撲殺するまでもなく、町内から追い出して、隣の町へ押しつけ、押しつけされて、とんでもないところまで行かされて、挙げ句に殺された、という記録もある。そうした目撃証言を丹念に拾って記録にしたものもある。それだのに、そんなことは起きていない、それこそがデマだという歴史修正主義を振り回す連中がいる。そういう連中は南京虐殺すらなかったという。記録が残っているじゃないかというと、その記録すらねつ造だという。愚かさの留まるところがない。そうした風潮を加速する出版社すら存在する。

 今年もまた、この日に際して、小池百合子都知事として、犠牲となった朝鮮人の人たちに対する追悼文の送付をしなかった。意図的に、それまでの都知事が行ってきたことをやめている。

 かつて働いていた企業は横浜に乾ドックを持っていた。今ではもう埋め立てられてしまって、そこにはマンションが建っている。そのドックは1922年、関東大震災の前年に完成していた。この大震災で亀裂が入って、修理を要したのだと記録に書いてあったことを思いだした。

 虐殺された朝鮮人の人たちを含めて、あの地震の犠牲になった方々を記憶に止めておきたい。地震による死者10万5千人といわれている。

 古今亭志ん生地震が来るやいなや、近所の酒屋へ走って行き、これが最後だと樽の栓を抜いて、直に呑んだというのは良く知られている。

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

月末

f:id:nsw2072:20190901223554j:plain:w240:left これで8月終了。街中が騒がしい。なんだと思ったらブラジルの祭の物まね。かつては夕方からだったのだけれど、地域のお店にお客が寄らなくて金が落ちないからというので、午後イチからになった。こうすればランチと夕飯と、打ち上げ宴会でお金が落ちるだろうということだそうです。暑い中、夏休みおしまいの日だというのに、地域の小学校のブラバン、鼓笛隊が動員されています。そういえばうちの子どもたちもやったんだ。というよりも第一回の時は沿道の警備ということで制服でお手伝いしたことを思いだした。
 それにしてもなんでこんなブラジルのお祭りをこんなところへ持ってきたのかというと、当時の区長が伴淳三郎や地域のうるさ方と一緒に、わざわざブラジルへ行って、招聘してきたんだそうだ。なんでサンバなのかね?あの格好で雷門の前で踊られると、気恥ずかしい。しかもそれが日本人だと余計見てはいけないものを見てしまったような気がするのは爺さんだからなんだろうか。おかげで、パーカッション楽器店は大儲けだろう。ブラジルから踊りに来ている人たちは、これを契機に日本全国で踊っているらしいよね。


f:id:nsw2072:20190901223711j:plain:w240:right 夜は湯島の小さな小屋で友人バンドのスリーバンドライブ。最初のバンドはクリームのナンバーを初めて人前で演奏するというバンドで、初々しくてようございました。ルックスと演奏する曲とのギャップが素人っぽさが生々しくて、とても良い。誰かの家の広い居間で遊んでいるみたい。
 友人のバンドはドラムとキーボードが墨田区が毎年やっている吾妻橋フェスタにとられてしまって、トラで他の友人がサポートに入っていたけれど、ふたりとも手練れだから、いつもと全く遜色がない。このバンドは昭和歌謡の面白いところを取り入れているので、初めて見た人はだいたい大喝采する。メイン・ボーカルのお父さんのお友達兄弟というふたりのお爺さんと同じテーブルになる。観客に意見求めるので、それに答えていると、いつの間にかもうひとりのメンバーだといわれる。いや、黙っていられないたちなんだよ。
 もう一つのバンドは全曲オリジナル。トリオバンドに女性ボーカル。このボーカルがすごいんだ!四六時中動き回っていて、ドラムの兄ちゃんから「また怪我するぞ!」とチェックが入るという。今時の縦跳ね系のバンド。「ギターの音をもっと頂戴!」と声をかけると、みんなの賛同を得られていたことに気がついた。

後を継ぐ

 商売屋さんなんかでは跡継ぎってのがとても重要なんだねぇ。後を継ぐ人がいなかったら、もうそこで商売が終わりだ。そこへいくと会社勤めっていうのは気が楽だね。あとをやる人はいくらでも湧いて出てくるからね。その人たちのレベルがどうかというのは別として。ところが商売屋さんだと、あとに人がいるかいないかというだけのことで、その後を継ぐ人の能力がどうかというのは別として、もうその商売が終わるかどうかが決まっちまう。
 近頃の商売屋さんが、あとをやる人がいなくなって店を閉めるというのが日常茶飯事のようだ。惜しまれつつ商売を辞めることになったということを聞いて、その商売を継がせて下さい、という人が現れた、ということもいくつか聞いたことがある。
 天皇さんだってそうで、こちらはもっと悲惨。明治革命以降の天皇さんはどんどん持ち上げられちゃったから、ますます面倒なことになっていそうだよねぇ。昭和の天皇さんが戦争を簡単にやめられなかったのも、考えてみたら、自分の代で天皇制を潰すことになったら大変だってんで、なかなか「負けた!」って言い出しかねていたわけだからね。あの人が「もう天皇制なんてどうでも良い、とにかく国民の皆さん、ごめんなさい!」といってやめていたら犠牲者の数はもうちょっとは少なくなっていたという見方だってできるものね。
 しかし、あれだけの間、つまり明治革命から70年間くらい、天皇さんは神様だぞ教育を施したら、あの戦争でずたずたになった経験がありながら、それが解かれてから70年以上が経った今でも、天皇さんを神様みたいに思っている国民がかなりの割合を占めるわけで、一旦洗脳されちゃったら、人間は簡単にその呪縛からは解かれないんだというのが良くわかる。それにしても洗脳経験というのは次世代にもこんなに影響を及ぼすわけで、オウム真理教で洗脳されちゃった人たちが今でもそれにしがみついているのも宜なるかな、なんだよね。
 しかし、ここから先の天皇制はまだまだ一波乱もふた波乱もありそうだけれど、それを見届けるだけの寿命がこっちに残されていないのは残念でございますなあ。

  • 鶴見祐輔ゲッペルスに逢ったことがあるんだという。
  • ラジオを聞いていて、つい、山藤章二の「四行大学」を買ってしまった。
  • 歯医者の日だった。なんだか知らないが、ギュインギュインと削られて、途中で舌の先で触ってみたら、ぽっかり穴になっていた。型を取っていたから、何かが被るんだね、この歯は。
  • ボイス・トレーニングの日だった。ほぼ全員が来た。来月のイベントには6人しか出演しないということが判明した。あれまぁ。
  • 出かけようとしたら、3歳くらいのお嬢ちゃんがおかあさんのあとについて外から帰ってきた。「こんにちわぁ〜!」といったらその小さな子が、自分が入ってきた扉を私のためにまた開けようとしてくれたんだ!素晴らしい!きっとおかあさんが良くそうしておられるんでしょうね!すばらしい!外国から帰ってきたばかりなのかな?
  • なぜ立大心理の林もも子先生は略歴の中にICUを書かないのだろうか。

またぞろ

 昨年7月に新設されたブラジルなどの日系四世の受け入れ制度(四世ビザ)を使い、今年6月までの一年間で、在留を認められたのは43人、入国したのは33人にとどまっていることが、出入国在留管理庁への取材で分かった。政府は年間で、上限4千人の受け入れを想定しているが、要件が厳しく、日系人からは改善を求める声が上がる。 (斎藤雄介)(東京新聞2019年8月29日 朝刊)

 来ないよ。来るわけがない。条件をこの記事から見ると、「18〜30歳が対象で、最長5年の在留が認められる。家族は同伴できない。一定の日本語能力や、日本での生活を無償で支援する「受け入れサポーター」を確保するなどの要件」だと。
 この条件からわかるのは、若い独り者で、5年経ったら、さっさと帰って頂戴ね、という方針だということになる。日本の労働賃金がとっても良くて、持ち帰ったら巨万の富に相当するというのだったら、5年我慢するという選択肢もあるかも知れないけれど、いまの状況じゃ、どうせろくな賃金を払う気もなく、縛り付けられるというのを、外国人研修生制度ででも見られるわけで、これとはヴィザが違うとはいえ、環境は似通ってくるに決まっている。荒稼ぎするのはあそこと建築関連だろうけれど、健康被害もあり得るし、オリンピック後がどんなことになるのかわからない状態で5年しばりは怖いものなぁ。このヴィザ関連でも、きっと日系を証明するために代理店が跋扈して、ここでごまかされたり、手数料といって法外な費用を請求されることが容易に想像がつく。
 何度も騙される人はいないってことだ。

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 昨夜はちょっと呑んだだけで、20:45には寝てしまい、気がついたら23:00だった。こうなるとなかなか寝られない。ようやく寝付いたのは午前5時過ぎで、ニッポン放送では上柳昌彦が「朝ぼらけ」といっていて、アルフィーとの昔話の録音を流していた。上柳昌彦はひょんな縁から2-3回一緒になったことがある。聞けば学校の後輩だった。坂崎幸之助にも2-3回一緒になったことがある。本名は幸二というそうで、墨田区、本所あたりの酒屋の息子だということだった。人間、どこでどんな人と出会うか、予測がつかない。しかし、多分両方とも向こうは覚えちゃいないだろう。

これは知らなかった。

 高級ホテルチェーンのシャングリラホテルなどの創業者として知られるマレーシア人の富豪ロバート・クオック氏(95)が朝日新聞のインタビューに応じ、アジア太平洋戦争での日本軍の侵攻に関する自身の体験について語った。「若い人たちに、歴史を知ってほしい」と訴えた。

 クオック氏は、砂糖取引や不動産業で成功しログイン前の続きた実業家。米誌フォーブスの今年の富豪ランキングではマレーシアで首位で、昨年はマハティール首相(94)を支える賢人会議のメンバーも務めた。2年前に出版した自身の回想録に記した戦時体験をテーマに7月に香港で取材に応じた。「(戦時の)記憶は心と魂に刻み込まれ、書かずにいられなかった。虐殺を目の前で見たわけではない。でも、身近な人が殺され、多くの悲しい出来事があったことを知っている」

 マレー半島では、日本軍によって多くの華人(中国系住民)らが殺害された。華人であるクオック氏は当時、家族や知人から、身近な人々の被害について聞かされたという。たとえば、同じ学校に通っていた中国出身の女子生徒は、日本軍によってレイプされ、家族とともに殺された。父親が排日運動の資金集めをしていたことが原因かもしれないという。地元住民と欧米人双方のルーツを持つ「ユーラシアン」と呼ばれる人々が暮らしていたジョホール州郊外の集落では、日本軍が多くの人々を殺害し、親友の一人も犠牲になった、と話した。

 日本については「正直で勤勉な人々の国だが、(戦争は)わずかな人々によって誤った方向に導かれた」。「マレーの虎」と呼ばれた陸軍大将の山下奉文(ともゆき)が処刑される直前に残した言葉の英訳版を数年前に読み、反省と平和への思いに感銘を受けたという。(香港=守真弓)(朝日新聞デジタル2019年8月14日05時00分)

 東アジアから東南アジアといえば、いま多くの日本人が観光客として遊びに行っているところだけれど、ことごとく旧日本帝国軍の乱暴狼藉に悩まされた過去がある。私たちはそれを忘れてはならないと、常々思っている。しかし、それを思わず忘れてしまうことがある。なんで、あいつは私を疎んじているんだろうと、よぉく考えてみたら、かつて一度だけでも、彼のことをないがしろにしたことがあるのかも知れない。された方はきっと覚えている。自分自身でも、やられたことはいつまでも覚えている。



日本ではもうマスコミも何も云わず、竹田某がJOCの名誉なんたらになっていることに口をつぐんでいるけれど、あっちではまだちゃんと手続きをしている。日本の官憲は名誉人たちには手を出さない。

 【ロンドン時事】ロイター通信は28日、2020年東京五輪招致に絡む贈賄疑惑を捜査しているフランスの捜査当局が、スイスに本部を置く電通のパートナー企業のAMS社を捜索するよう、スイス当局に要請したと報じた。
 疑惑に絡み、仏当局は国際陸連のラミン・ディアク前会長の息子で陸連のコンサルタントだったパパマッサタ氏を捜査しており、AMS社が贈賄の中心的な役割を果たしたとみている。この問題では、日本オリンピック委員会JOC)前会長の竹田恒和氏が昨年12月に事情聴取を受けた。

たまたま偶然〔屋上屋を重ねておるけれど〕YouTubeを渡り歩いていたら、原曲にぶつかり、思わず「えっ!?」と声を上げてしまった。

別れの朝」(わかれのあさ)は、1971年(昭和46年)10月にリリースされた日本のバンド・ ペドロ&カプリシャスのメジャー・デビューシングルである。ペドロ&カプリシャスの代表曲のひとつである。 原曲はオーストリアの歌手でウド・ユルゲンスの「Was ich dir sagen will」(夕映えの二人) のカバー(ウィキペディア

すずしい

 今日の東京は分厚い雲に覆われていて、陽射しがなく、その上風が吹いているので、蒸すけれども、涼しい。西の方では大雨になっていて、九州では川が氾濫しているといっている。毎年どこかで大雨災害が起きている。

 午後はバンドの練習だった。先月のライブ以来間が開いている。浜松から来てくれているkeyboardistはお嬢ちゃんがこの秋、挙式なので次回合流できるのは多分11月だという。前回のおさらいと新たに一曲に挑戦。といっても当然50年前の曲である。GSは活動した時期がたったの3-4年くらいしかないけれど、雲霞の如くわき出たバンドのおかげで、曲には困らない。しかし、素人バンドを聴いてくれるというお優しい方々のためには一度は聞いたことがあるという曲でないと、意味がない。全く多くの方が聴いたことがないだろうという曲はたった一曲しかやっていない。それは元GSの人が作った曲だけれど、全くヒットしなかったという曲なんだけれど、自分たちが気に入っているという不思議な曲。これだけは毎回必ず演奏してきた。レパートリーを増やそうとするがなかなか賛意を得られない。しばらくアクティブになるのはやめておく。
 12月14日に、G. Soundsというバンドと小さな小屋で対バン忘年会をやることになった。