ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

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 昨夜はちょっと呑んだだけで、20:45には寝てしまい、気がついたら23:00だった。こうなるとなかなか寝られない。ようやく寝付いたのは午前5時過ぎで、ニッポン放送では上柳昌彦が「朝ぼらけ」といっていて、アルフィーとの昔話の録音を流していた。上柳昌彦はひょんな縁から2-3回一緒になったことがある。聞けば学校の後輩だった。坂崎幸之助にも2-3回一緒になったことがある。本名は幸二というそうで、墨田区、本所あたりの酒屋の息子だということだった。人間、どこでどんな人と出会うか、予測がつかない。しかし、多分両方とも向こうは覚えちゃいないだろう。

これは知らなかった。

 高級ホテルチェーンのシャングリラホテルなどの創業者として知られるマレーシア人の富豪ロバート・クオック氏(95)が朝日新聞のインタビューに応じ、アジア太平洋戦争での日本軍の侵攻に関する自身の体験について語った。「若い人たちに、歴史を知ってほしい」と訴えた。

 クオック氏は、砂糖取引や不動産業で成功しログイン前の続きた実業家。米誌フォーブスの今年の富豪ランキングではマレーシアで首位で、昨年はマハティール首相(94)を支える賢人会議のメンバーも務めた。2年前に出版した自身の回想録に記した戦時体験をテーマに7月に香港で取材に応じた。「(戦時の)記憶は心と魂に刻み込まれ、書かずにいられなかった。虐殺を目の前で見たわけではない。でも、身近な人が殺され、多くの悲しい出来事があったことを知っている」

 マレー半島では、日本軍によって多くの華人(中国系住民)らが殺害された。華人であるクオック氏は当時、家族や知人から、身近な人々の被害について聞かされたという。たとえば、同じ学校に通っていた中国出身の女子生徒は、日本軍によってレイプされ、家族とともに殺された。父親が排日運動の資金集めをしていたことが原因かもしれないという。地元住民と欧米人双方のルーツを持つ「ユーラシアン」と呼ばれる人々が暮らしていたジョホール州郊外の集落では、日本軍が多くの人々を殺害し、親友の一人も犠牲になった、と話した。

 日本については「正直で勤勉な人々の国だが、(戦争は)わずかな人々によって誤った方向に導かれた」。「マレーの虎」と呼ばれた陸軍大将の山下奉文(ともゆき)が処刑される直前に残した言葉の英訳版を数年前に読み、反省と平和への思いに感銘を受けたという。(香港=守真弓)(朝日新聞デジタル2019年8月14日05時00分)

 東アジアから東南アジアといえば、いま多くの日本人が観光客として遊びに行っているところだけれど、ことごとく旧日本帝国軍の乱暴狼藉に悩まされた過去がある。私たちはそれを忘れてはならないと、常々思っている。しかし、それを思わず忘れてしまうことがある。なんで、あいつは私を疎んじているんだろうと、よぉく考えてみたら、かつて一度だけでも、彼のことをないがしろにしたことがあるのかも知れない。された方はきっと覚えている。自分自身でも、やられたことはいつまでも覚えている。



日本ではもうマスコミも何も云わず、竹田某がJOCの名誉なんたらになっていることに口をつぐんでいるけれど、あっちではまだちゃんと手続きをしている。日本の官憲は名誉人たちには手を出さない。

 【ロンドン時事】ロイター通信は28日、2020年東京五輪招致に絡む贈賄疑惑を捜査しているフランスの捜査当局が、スイスに本部を置く電通のパートナー企業のAMS社を捜索するよう、スイス当局に要請したと報じた。
 疑惑に絡み、仏当局は国際陸連のラミン・ディアク前会長の息子で陸連のコンサルタントだったパパマッサタ氏を捜査しており、AMS社が贈賄の中心的な役割を果たしたとみている。この問題では、日本オリンピック委員会JOC)前会長の竹田恒和氏が昨年12月に事情聴取を受けた。

たまたま偶然〔屋上屋を重ねておるけれど〕YouTubeを渡り歩いていたら、原曲にぶつかり、思わず「えっ!?」と声を上げてしまった。

別れの朝」(わかれのあさ)は、1971年(昭和46年)10月にリリースされた日本のバンド・ ペドロ&カプリシャスのメジャー・デビューシングルである。ペドロ&カプリシャスの代表曲のひとつである。 原曲はオーストリアの歌手でウド・ユルゲンスの「Was ich dir sagen will」(夕映えの二人) のカバー(ウィキペディア