ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

いつから帽子を

 私が帽子を被らずに外に出るということはとても珍しいことで、ここ数年の間では多分一度もないのではないかと思う。夏でも冬でも。
 特にここ2-3年はすっかり髪の毛が薄くなって来て、おかげで夏は暑いし、冬は寒いので必ず何かを被っている。

 しかし、一体いつから帽子を被るようになったのか、と考えると唸ってしまう。本格的な帽子を入手したのは多分、1979年頃の話ではないかと。当時、米国ユタ州Salt Lake Cityに滞在していて、ダウン・タウンに立派な帽子屋を見つけたところからだろう。ダウン・タウンに出る度にその店に入り込んでいた。で、最後に勇気を振り絞って買ったのはSTETSONのビーバー・ファーが30%混紡されているという表示の「XXX」のサインがある堅い成形のいわゆるテンガロンのようなハット。これは未だに後生大事に保管されているが、今被ると逆に大分きつく思える。当初からきつかったのだろうか。この類の帽子は多少のサイズは拡げることが可能と聞く。

 その後は1980年にアフリカの現場に行く途上、立ち寄ったNYのケネディ空港で飛行機を待たされている間にふらふらしていて、つい手を出してしまったピエール・カルダンの名前が入ったツイードの「のっぽさん」が被っているような帽子だろうか。日頃現場ではteamのキャップを多用していたが、休暇で留守にしている間に事務所が火事になってこれは焼失した。
 そこで、コンサルタントの連中からあるいは業者から貰ったりしていわゆる米国型ノベルティー・キャップが集まり、しまいに米国のバスケットボールやフットボールのキャップが自然に集まってきたので、キャップをムキになって集め出した。最盛期には40個ほどが集まっていたように思う。挙げ句の果てにちょうどこの頃、カブ・スカウトに手を出す。スカウト活動をしているとベレー帽やハット、キャンプ用に造ったキャップなんてものをしょっちゅう被るようになる。
 しかし、年を経るに従って、連れあいが私の顔にキャップは似合わないと忌憚のない意見をだしてきた。その辺から一挙にハットに興味が移っていくが、タイミングを合わせるかの如く、私は豪州に行く。
 豪州では帽子は必需品だ。現地の白人は誰も彼も皮膚癌のことを考えている。考えて子どもには直垂(ひたたれ)のついた帽子をかぶせたりするんだけれど、自意識が芽生えるとみんな知らん顔をする。
 そして英国系の人たちもやっぱり帽子が好きだ。とはいえ、私はリンボウ先生の如くディア・ストーカーなんかを被って新幹線に乗るつもりはない。
 豪州では例えばヨットクラブに行けば確実にキャップを売店で売っている。しかし、米国のようながっちりマークされたキャップじゃなくて、ある意味米国的感覚で見ると貧乏くさいけれど、欧州的感覚から見るとこれ見よがしではない、そんなタイプのものだ。小さくマークが刺繍されているんだけれど、それ以外には何もサインはなくて、知らない人にはわからないのだけれど、知っている人は「ということはこの人は一体何なんだろう・・」と考えさせるという具合。単純でないだけ嫌らしいといえば嫌らしいけれど、これ見よがしでない分成金的ではない、といえようか。
 そうそう、シルクドソレイルの「O」のキャップは前面にキャップと同色の糸でそのブランドが刺繍されていて知らない人には良くわからない・・というのとちょっと似ているかも知れない。

 豪州で最も有名な帽子のメーカーといえばAKUBURAに留めを刺す。Sydneyのcity, Strand Arcadeにはかつて非常に信頼に足りる帽子屋があった。昨年いってみると場所は変わっていないのに、すっかりいい加減になってしまっていてがっかりしたけれど、この帽子屋が便利だったのは夏物も冬物も年中常備してあったことだ。しかも、本当に帽子を熟知している店員がいて、フェルトの帽子の山も、ここで成形してくれたからどんな具合の山にしたいのかをリクエストした。というのは豪州で一般的に被られている帽子の山は横から見ると直線で構成されていて、面白くないのだ。それで、ハットのいわゆる豪州タイプが私は気に入っていない。
 ここの帽子屋はパナマがイヤというほど多くの種類が準備されていた。パナマという素材は天然素材だから、それ程耐久性があるわけでもない。挙げ句の果てに夏はどうしても汗をかく。本当のことをいうとひと夏持てば御の字なんだろうけれど、高いものを買ったらそうは踏ん切れない。だから、最近はできるだけ安くて、ひと夏であきらめのつく素材を探すことになる。日本の帽子メーカーの中には和紙を原材料にして夏物を造っているところもある。
 豪州では帽子も古着屋にたくさん出てくる。今でも惜しいことをしたと想い出す度に悔しい思いをするのは10年ほど前にタスマニアホバートの土曜日のサラマンカ・マーケットでちょうどサイズがぴったりなちょっと古ぼけたSTETSONのソフトを買ったことだ。それも安く。とても気に入っていた。それをBurnieの街の中華レストランに置き忘れてきてしまったのだ。あれは未だにもったいない。
 最近は冬のハットの素材として、Lite Feltが大流行だ。昨年通りかかった米国ワイオミング州のジャクソンの大変に大規模な帽子屋もその大半はLite Feltだった。あぁ、今考えてもあそこでいくつか入手すべきだった。

Eric Ken Shinseki

 米国のバラック・オバマ政権に日系米国人がいる。退役軍人局の秘書官に指名されたのがEric Shinseki(新関)である。イラク侵攻作戦の際に必要となるであろう陸上戦力の予測でラムズフェルドと衝突したことで名を馳せた陸軍の元four star general(陸軍参謀総長)である。2003年に退役。これまでの二年間、日系退役軍人のthe Go For Broke National Education Centerでの広報担当に従事していた。
 1942年11月28日ハワイ生まれ。日系およびアジア系米国人として初めてのfour star generalである。
 the Go For Broke National Education Centerから来たメルマガで初めてこの事実を知る。昨年暮れに各紙は報じていたらしい。
 何度も書くけれど、「Go For Broke」を「当たって砕けろ」と訳すのはやっぱり違っていると思う。ここぞと思ったら壊れても良いほど頑張る、ということだと思うなぁ。

単純な事故

 南日本造船の大在工場で艤装中のPCC(自動車運搬船)へ架けた作業用のタラップが作業者が船に向かって上がっていくところで船側が外れ、落下。2人が死亡。23→24人が怪我。
 産経新聞の写真を見るととても新しい工場のよう。船は船底のペンキがまだ最終仕上げ塗装になっていないところを見るとまだ艤装中で、ひょっとするとドックから偽装岸壁に移したばかりなのかも知れない。非常に単純な事故であるが、それだけに問題は大きい。こんな簡単なことに安全意識が働かないという職場環境ということなのかと判断されるだろう。
 読売の記事によるとタラップは通常船体に対してフラットに据え付けられるのに、この日は斜めになっていたと書かれているけれど、斜めにこうした作業用のタラップを架けるのは造船所では当たり前。まさか南日本造船が知らなかったわけはないだろう。
 しかし、タラップの船体側のフックの4本のボルトの一部が壊れているのが発見されていることを報じている。
 西日本新聞の記事によるとこのタラップは改造されたそうで、改造後、初めて設置したのだそうだ。死者、けが人とも全て下請け従業員。
 南日本造船は元々大分県臼杵の中規模造船所。大在工場は昨年の5月に正式に開所式を行った新進気鋭の造船所。知らない人には理解できないかも知れないけれど、造船業界はここ数年、かつての構造不況業種だなんて想い出すこともできないほどの好況に沸き立っていた。多分今でも受注残は3-4年分はあるのではないだろうか。採算がどうかは別として。
 しかも、典型的な労働集約産業である造船業は正規労働者の力によってなんて全く成り立たない業界で、この南日本造船もHPを見ると本社、東京営業所、大在工場、臼杵工場、大分工場全部を含めても社員数はたったの100人強である。つまり現場の作業者の殆どは下請け企業の作業者で、どんな契約形態で従事しているのかはわからない。
 外国人労働者の研修・実習ビザでの就労者も造船業界にはいるとも聞いている。自動車産業の現場と違って契約切れとなっていないからあまり問題にはなっていないけれど、その辺までほじくられることになると単純な事故で終わらなくなる可能性だってある。
 (追加:090124 タラップの重量は会社が思っていた3トンどころではなく、6.8トンもあったのだそうで、「タラップがどれほどの重さに耐えられるのかを計算する基礎数値さえ知らなかった疑い」があるという。このタラップを設計したのは誰だ?)
(追記:090125 誰も強度を計算していなかったようだ。「南日本造船の幹部は24日の記者会見で「強度の審査は我々がやるべきだった」との認識を示した。(2009年1月25日09時07分 読売新聞)」 では、一体このタラップをこの様なデザインで制作しろ、あるいはあのフックを造れと指示したのは誰なのか。まさかいくらなんでも全てを発注先の鉄工所に任せてしまったのだろうか。

NHK 日本人カメラマン 野生に挑むシリーズ

 2007年3月5日に放送された「ハイビジョン特集 日本人カメラマン 野生に挑む 嶋田 忠 清流のハンター カワセミを追う」の再放送があった。さすがNHK千歳川でのカワセミ、ヤマセミの子育てをじっくりと撮影したもの。
 初夏の千歳川で何もしないで、川の流れをじっと見ていたいと本当に思う画面のすばらしさに舌を巻く。こんな番組はNHK以外には作れない。 BShiで2月16日(月)の午前9:00〜10:50にまた放送があるそうだ。鳥が川の中から咥えて出てくる魚が綺麗な模様が見て取れるヤマメで、あぁ、さぞかし良い川に違いないと思わせる。

良くなったのかと思ったら

 火曜日からのこの状況が全く変わらない。熱があるわけでもないけれど、身体全部がだるくていくらでも眠れてしまう。ひょっとして肝臓とか、そっちの臓器系の病気だろうか。ご飯は平気でどんどん食べることができるし、しょっちゅう何か呑んでいたい欲求に駆られる。出がらしのお茶をどんどん飲んでいる。これでは何も手に付かない。何かを食べたら寝て、目が覚めたら何かを呑んでまた寝ている。
 非生産的であることこの上ない。