ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

いよいよ始まるのか

 SONYがもうダメだといっている。
あっという間に赤字転落だ。
希望退職を募るという。
一宮市稲沢市にあるテレビ関連工場2カ所を1カ所に集約するという。
液晶テレビデジタルカメラなどが販売不振。
激しい競争で価格も急速に下落
為替レートが大幅に円高(2009/1/22 中国新聞
 VAIO-Pは売れていないの?焼け石に水か?
 私は正直いってなんで矢沢永吉でいつまでも液晶テレビの宣伝を続けるのか理解できなかった。そしてもうひとつはあまりにも「SONY寿命」にはやられすぎてきた。あの弱小家電メーカーだったsharpが液晶画面で急激に安定感を増してきたのに比べて、あまりにも製品の耐久力が軽んじられすぎていたという気がする。もうSONYの絶対性なんてものはとっくの昔にどこかに吹き飛んでいた。盛田が病に倒れたあたりからやはりSONYの企業体質の中にどこか慢心がはびこっていたのではないだろうかという気がしないでもない。企業のイメージとしては私にとってはコンピューターのアップルに何か通じるものを感じないではないが、アップルがiPodで立ち直って以来、世界各地にアップル・ストアーを開設して、一般顧客との接点を増やしているところに大きな違いができているのではないだろうか。アップルも今回のジョブスの病によって今後の展開が現場から離れる方向に転換されるとすると、また、世の中が変わってくるのではなかろうかと思える。

結局やり直した

 いろいろなところで話題になったバラック・オバマ米国大統領の宣誓での言い間違い事件だけれど、翌日、新聞記者4名やスタッフ数名がいる前で、最初に言葉の順番を間違えてしまったChief JusticeのJohn Robertsがやり直したんだそうだ。John Robertsはちゃんとローブをまとったんだそうで、オバマ大統領は今度はゆっくりとね、といって25秒で終えたんだそうだ。
間違えていってしまった一節:
"I will execute the office of president to the United States faithfully,"
本当はいうべきだった一節:
"I will faithfully execute the office of president of the United States."
(ロイター ed Jan 21, 2009 9:24pm EST)

恥ずかしながら知らなかった

 第二次世界大戦、アジア太平洋戦争が終結して、連合国はニュルンベルグ裁判を開いてナチス・ドイツを裁き、極東国際軍事裁判を開いて日本を、裁いた。そこまでは知っている。
 ところで三国軍事同盟の一角、イタリアはどうなったのか、とぽつんと訊かれて、はたと止まってしまった。聞いたことがなかった。そりゃそうだ、おかしいじゃないか。ゲーリングたちの被告席の様子をどんなフィルムを見たのか知らないが、見た記憶はあるが、元イタリア軍の将校が裁判の被告席にいるのを見た記憶は全くない。
 イタリアが降伏したのは1943年9月3日、ムッソリーニがスイスへの逃亡途上で捕まってパルチザンに処刑されたのは1945年4月27日のことで、随分長い間逃げ回ったことだろう。
 イタリアは1943年9月8日に臨時政府が連合国との間で休戦協定を結び、翌月にはドイツに対して宣戦を布告したのである。従って第二次世界大戦終結を向かえたとき、イタリアは連合国の一員だったというのである。
 それにしてもイタリア・パルチザン政府はムッソリーニを中心とするファシスト集団に対して如何なる精算をしたのだろうか。
 今までなんの関心も持たなかったのが、嘘のようだ。

埃舞い

 またまた回顧談と相成りそうらえども、私がガキの頃、家の近所といえば冬から春にかけては、もうめったやたらと埃が立って気がつくと眼医者に行ってはなんだかネバネバしたものを目に入れられて帰ってきた記憶がある。あれは一体何だったんだろうか。たったそれだけをしてもらいになんでごった返した眼医者なんかに通ったんだろう。今のように目薬が日常的になかっただろうことは想像がつくけれど。
 道路の舗装がしてあるなんていうのは本当に幹線だけだったんだから、今のように舗装していない道路を探すのが容易なこっちゃない日が来るとは思わなかった。ことほどさように道路建設工事のためにわが国民は邁進して税金を納めてきたのだから、そっち側にくっついて大儲けした人たちはいくらもいたということだろう。そういえば私の周りにはそんなことで儲けた人が殆どいないのはどうしたことだろうか。そんな具合だもの、風が吹けば埃が舞い上がって、結局最後は桶屋が儲かったんだろう。それともうひとつはあちこちに空き地があったし、畑だらけだった。埃が舞い上がるべくなっていたわけだから、きっと今よりも数段埃が飛んでいたんだろうことは想像できる。
 そんなころ、私が育った地域を走っていた道路が京浜国道のバイパスになることになって一気に倍の幅になることになった。といっても今見るとたかだか二車線になっただけである。それまでの反町駅の前を通る道路はゆったりゆったりと牛が引いた大八車なんてのが通っていて、道路のその辺には牛の糞やら、馬の糞やらが落ちているのが普通だった。当然、牛が履いていた草鞋の切れたのなんかも落ちていた。就学前の私は良くそんなものを棒きれで突っついたりしていた。当然雨が降ると長靴でないと行き着かない。ズックではびしょびしょになるのが当たり前だった。校舎に入る前にその汚れた長靴はブラッシでもってこびりついた土を落とすことになっていた。今から考えてみれば、誰も彼もが長靴を履いてこられる奴ばかりではなかったはずなのに。
 そこにある日拡張舗装工事が始まったんだから、子どもにとってはこれはもう見逃せない大イベントだ。幼稚園の行き帰りに座り込んで見ていた。なかなか子どもが我慢できるほどの画期的な進捗を見せないものだからすぐに退屈になってしまって、商店街の裏の鰻屋のおじさんが鰻を割くのを見る方が面白くってそっちに鞍替えしてしまうのだけれど。
 しかし、あの道路が通ってからというもの、まるで川の流れで分断されてしまったようなものだ。そして時代の流れに人々は流されてどこかに行ってしまった。もう貸しビルになってしまった呉服屋の同期生や肉屋の同級生たちはみんなどうしているんだろう。そういえば写真屋も同期生だった。
 今、水たまりのできた未舗装の道路で長靴を履いて写真を撮ろうとしてもそれにふさわしい道を思いつかない。

物事を有耶無耶にする温情主義

 消費税を2011年に何が何でも上げるということに麻生自民党は踏み切ったわけだけれど、その理由と税収の使途をどう説明するのか、はたまたしないのか。
 こんな事を書くと「何が何でも消費税を上げるだなんて誰も一言も異っていないじゃないか」という指摘を受けるだろう。
 では、新聞記事を検証してみよう。

自民党の財務金融部会と政調審議会は(2009年1月)22日午前、政府が提示した2009年度税制改正関連法案の消費税に関する付則案を了承した。
 政府は、23日に自民党の党内手続きが終了した後、臨時閣議で同法案を決定する方針だ。
 自民党内では増税時期の明示に根強い反対論があったが、付則案は「2011年度までに必要な法制上の措置を講じる」と明記する一方、増税時期は改めて法律で定める「2段階」方式と読み取れる文言を盛り込んだことで、反対派も容認した。
      (中略)
「消費税を含む税制の抜本改革を行うため、(20)11年度までに必要な法制上の措置を講じる」
      (中略)
税制抜本改革の前提として「経済状況の好転」を掲げ、景気が回復基調に入らない限り、消費税増税は行わない方針を明確にする一方、景気が回復すれば、「遅滞なく(抜本改革を行う)」とも明記。(2009年1月22日12時21分 読売新聞)

 まだ2011年に消費税を上げると決まったわけではなくて、その前に今私たちが陥っているこの経済的苦境から脱却するだなんて考えられない状況なんだから、そんな時期の増税なんてあり得ないと読みたい。
 しかし、なにをもって「景気が回復基調に入る」とするのかなんて定義付けをここで誰かが明記しているのかといったら全く論議されてなんていない。必要な法制措置をやっておいてそのまま店ざらしになるという保証はどこにもない。
 麻生太郎がなにゆえにこの消費税増税をあいつらしくもなくそれこそ頑迷なまでに主張しているのだろうか。自民党にとってこれを明記して選挙戦に有利になるとはとても思えない。むしろ不利であるだろう。むしろこんな状況下なんだから、本当に景気が回復期に突入したと思われるときになって持ち出せばよいのではないだろうかと思うのになんでなんだろうか。
 ましてやその時、麻生は確実に自民党総裁でもないだろうし、日本国総理大臣でもあるわけがない。だから余計になんで今頃自民党という政党がまるでひとり相撲のような「2011年消費税増税」で揉めているのかが明確ではなく、だからこそ国民の関心を呼んでいないのではないだろうか。
 そしてまさにその消費税増税が実施されるとき、誰がどう責任を取る必要があるかとなったときに、こういうごてごて無茶苦茶論議にしておけば何が何だかわからない状態になっているだろうという読みがある。
 私たちの社会の超エリートである霞ヶ関の皆さんはかつての帝国陸軍の高級軍人たちのようにこうして責任の所在を有耶無耶にして(重光葵巣鴨日記})、結果的には天下っては渡り歩いてお稼ぎになる。
 何故なのかも、その後の趣旨も、ましてやその時期すら明確でない消費税の増税は全く説得力がない。しかし、このまま行けばどんな具合にでも料理して増税を実現することができると自民党は思っているんだろう。

体調悪しといえど

 なぜか、食は落ちないのである。昨日も鰤の刺身を旨い旨いと食べてしまい、挙げ句の果てにいつもの自分の分担である食器の片付けをさぼり、そのまま薬を飲んで寝てしまった。するとさすがに丸二日目ともなると3時間ほどで目が覚める。
 先生が来年度は英語の文献を読むのを手伝ってくれと仰っていたことを思いだし、こんなところで化けの皮がはがれるのは嫌だなぁ、早いところその文献を入手しておかなくてはならないなぁと思っているのだけれど、なかなか文献のタイトルをお知らせいただけない。どうもこれあたりじゃないかという文献を探し当てたのはよいのだけれど、なんと豪ドルで230ドルくらいもするというとんでもなく高い文献だった。こりゃ買えないなぁ。
 早くも3月の知り合いのライブの切符を申し込んだのはよいのだけれど、その前に2月のイベントの進行表を上げなくてはならない。その翌週の友達のバンドのイベントの考えもまとめておかなくてはならないことを思うとゴロゴロ寝ていちゃいけないんだろうになぁ。