ほぼ足りてまだ欲 その先

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不登校産業

今朝のラジオニュースをまどろみながら聞いていたら通信制高校の状況について語っていた。様々な通信制高校の存在が語られていた。僕が前々から薄々気がついていたことだけど、これを話すには結構根気のいる作業が必要かも知れないと、放置していたことがある。気になっているのは、不登校のこどもを対象に純粋支援的な活動をしている学校やフリースクールではなくて、ここにも存在する営利企業の存在である。
文部科学省のデーターでは2000年時点で小・中学校の長期欠席児童・生徒の数は13.4万人。このデーターからすでに丸2年は経過しているからこれ以上の数字になっていると考えるのが妥当だろう。
ここまで不登校が蔓延し、当然な状況になってしまうことによってこうした子どもの存在は例外的ではなくなってきている。この状況が非常にこの国の特徴的症状であるとよくいわれてきたが、これが事実なのか、そしてその要因がどこにあるのかはここでは簡単に触れることができないから、とりあえず置いておく。
義務教育期間中にいる小・中学生についてはその動きの鈍さ、あるいは機械的な分類わけという点で異論は種々提示されているとはいえ、文部科学省はある程度の把握もしているし、「特別な問題ではない」という見解も持っている。
しかし、問題は高校生年代である。義務教育機関ではないから、学校に行こうと行くまいとそれは生徒個人の問題であってどの様な進路を選択しても良いわけである。だから中退する生徒がいたってもちろんおかしくない。文部科学省の発表データーによると、高校中退者は年間におおよそ12万人前後で、全国平均でほぼ2.5%である。しかし、この中退者の中には不登校に陥っている高校生の数は含まれていないはずである。なぜなら不登校生のなかにはまだ中退していない生徒がいるからだ。

不登校や中退してしまった高校生を受け入れる学校、あるいは学校法人ではないけれど通信制の高校を利用して高卒の資格を取ろうとするいわゆる私塾が大変に増えてきているということはこれだけの絶対人数と無縁ではない。

北星学園余市高校
北海道の余市北星学園余市高校という学校がある。設立されてからすでに35年以上が経過している。北星学園キリスト教に基づく学校法人で、大学、そして高校も女子校、共学高校が札幌にあり、短大が稚内にある。大学は1887年にスミス女学校として設立されたもので、社会福祉学部は1962年に社会福祉学科として設立された歴史を持つ。余市高校は1965年に北星学園の7つ目の学校として設立された。地方の私立底辺高校としての存在でしかなく、1987年には廃校されようとしていた。
しかし、当時の教師たちが高校からはじかれた子どもを受け入れる学校として再生させてきた。北星学園のお荷物校という認識しか持たれなかった北星余市高に集まる子どもは学力が追いつかなくなっていたり、学校になんていったってしょうがないだろうと、自暴自棄に陥ったりしてきた生徒を中退したその学年からやり直せるシステムを導入した。内地の各地から集まってくる生徒たちは学校周辺の民家に頼んで始めてもらった下宿に暮らす。自分で選んでやり直しを計ってきた子どもだけではなく、親が頼み込むようにして送り込まれてきた子どもだっている。それでも学校は受け入れてきた。

先生たちの努力尽力は並大抵のものではなかった。ほぼ24時間勤務といってもよいくらいである。やる気を失った子供が下宿にいると聞けば出かけていって話を聞き、浜辺にでてさぼっている生徒がいるといわれれば見回りに行き、近所の病院に入り込んでたばこを吸っている生徒がいると聞けばまた出かけていって説得する。
たばこを発見された生徒を近所の農家に頼み込んで謹慎として農作業をしながら反省してもらう。毎日クラス通信を書いては生徒に配る。親にも送る。70kmハイクで生徒たちにも、そして親たちにも達成感を味わってもらう。本当に涙ぐましい毎日が繰り広げられてきた。そして数年前から生徒の大半は不登校で地元の高校を辞めてきた生徒によって占められてきた。
それなのに、一昨年は学内からマリファナ騒動が発生する。聞こえてきた話は数人がマリファナを持ち込んできたという話からだった。毎日同じメンバーと暮らす中で、それでなくても繁樹のない地方の町での暮らしの中で、そんな刺激を求めようとする。クラス討論の中で、先生たちは涙ながらに生徒たちに訴えたという。一度でも手にしたものは申し出て欲しいと。なんと70人近い生徒が手を挙げるに至ってしまった。首謀者は結果として退学してもらった残りは謹慎に入った。これでは学校はマヒに陥る。この辺の経緯は北星余市高校のサイトに譲る。
北星余市高校は危機に陥っている。生徒が集まらなくなってきた。ただ単純にこの事件が原因というわけではないだろう。不登校児童・生徒が特別視されなくなってきたということはその状況が日常化されてきているということであり、この子どもを対象とする学校、フリー・スクール、夜間高校、通信制をベースにした私塾といったものが増えてきたこともその一因だろうと思われる。それはそうした生徒たちにとっては良いことでもあるわけだから、北星余市高校にとっては複雑だ。
子ども本人も親も、いくらやり直せるからといって北海道の、それも余市まで拠点を移すのにはかなりの覚悟がいる。だからこそじっくりやれるというメリットもある。しかし、それは経験したものには分かるが、話を聞く程度ではにわかには信じがたい、というよりも大変大きな決断になる。北星余市校の保護者たちは子どもが卒業したあとでもつきあいを続けているだけでなく、全国各地で北星余市高校の相談窓口として登録していたりする。

反対に東京を始め地元で行ける拠点が、しかも単なるフリースクールではなく、高校卒業の資格を取ることができる学校が所属させてくれると聞くと、それにすがりつく方が壁は低い。しかし、通信制高校や夜間高校を続けていくのには自らをコントロールする力がどうしても必要である。ちょっとお休みしたいと思うあたりからズルズルと続いていってしまった、というタイプの生徒には地道に続けていくことは辛いものがある。そうなってみると気がつくが、一度崩してしまった自分の生活形態は、どんどん崩れていく。というよりもペースを戻すことには努力がいる。誰かの援助があるのと、ないのとではかなり違いがある。

全国紙にぽんぽん宣伝を出して生徒を集める、そんな塾もでてくる。会費を取って親のための<不登校を考える>といった集会を開き、その中で結果として特定の私塾を宣伝する団体も発生してくる。親にとっては正にすがりつくという状況になるからなんの疑問もなく飛びつく。10数年前からそんな類の活動に気がついていた。そして今日始めて<不登校産業>という言葉を聞いたのである。

しかし、残念なことに不登校といえる時期を過ぎればこの状況が終わるわけではない。消耗してしまった生活は学校という機関への所属が終わったから解消されるわけではないのだ。高校生レベルでの不登校が明確でないのと同じように、大学生での、そして成人の不登校とでもいうべき「引きこもり」の人たちの数は増える一方である。今年は不登校の兄を持つ弟が撮った映画「home」を見に来る人々の数がいっこうに減らないところを見てもわかるし、そしてKHJ親の会といった集まりを見るとわかるが、そうした該当者は相当な人数に登るようである。

一度失った自信はなかなか戻ってこない。そうした仲間たちの中に自らを置いて少しずつ自信を取り返していくという場は必要である。しかし、そんな場に自らを向かわせるのにはとても大きな力がいる。自分がそうした人々を必要としているという状況を自ら認識する作業が必要だからだ。そんな状況を提供している施設は大変に有効だろう。しかし、世の常としてそうした状況をはしっこく目に留めてそれを飯の種にしてしまう意志が働いているのか、そうでなく苦しんでいる人を真に援助するという立場に立脚しているのかを見極めなくてはならないのはやっかいだ。これは不登校、ひきこもりの人たちの援助だけでなく、高齢者介護の援助の分野でも同様である。

ニュージランドのフリースクールで事件
26日にニュージーランドオークランドの郊外にあるフリースクールで滞在している生徒の一人が殺され、9人が拘束されたという事件が起こっている。その後の報道が全く日本ではないので、詳細は不明だ。地元の新聞、ニュージーランド・ヘラルドにも26日に22歳の男性が死んでいるのが発見されたという報道があるだけである。この施設は横浜に拠点を持っているコロンバス・アカデミーというフリースクールが運営している施設である。

代表者も含めて9名が現地警察に逮捕されたが逃亡の恐れなしとして保釈されたという。テレビのニュースでコメンテーターとして前立教大学教授の町沢静夫さんが登場した。施設の必要性という本質からはずれた議論になることを心配していた。もちろん、このNPOの理念、方針、日頃の活動をきちんと見るべきであろう。しかし、22歳の青年が死んでしまった事実は変わらない。あってはならない事件である。見守って行かなくてはならない。
http://www.npocolumbus.or.jp/
26日にはまだ公開されていたサイトが今では軒並み工事中となって非公開になってしまっている。必要以上の論議を避ける意味があるのかも知れない。難しいかも知れないが、この危機状況にあって分かっている限りの情報を公開していく動きがあったら相当に見方は変わったかも知れない。