今日は格好良いことを書くのは止めた。じゃ、今までは格好の良いことを書こうとしているの?と聞かれそうだけど、そんな気もちょっとあるかも知れない。
今とっても揺らいでいることがある。それは自分がいつも人にいうことは、後ろ指を指されない人生を送って欲しいということなんだけど、実は自分がここまで生きてくる間にそうでないことをいくつも犯してきていることが心の片隅に、いや時には前面にそれがでて来ちゃったりすることなんだ。
小学校の3-4年生の頃の私は本当に鼻持ちならない奴だった。なんだか今から書くのも恥ずかしいのだが、自分は選ばれる側にいる人間だと思っていた節がある。例えば私の幼い頃は家の近所に空き地がいくらでもあって三角ベース(注1)やら、缶蹴りやら、下駄隠し(注2)やら自転車に乗れる歳上のお兄ちゃんたちの後ろに乗せてもらったり、遊んでいた。
例えば野球なんかでも私ははっきりいって下手っくそな方だったけど、ええかっこしいだから、一塁でアウトになると悔しくて涙が出るほどだった。そんなことではいけないと思っていた。すぐに鬼に捕まったりすると面子がつぶれるような屈辱感を味わっていた。そのくせ自分がうまくいっているときには、すぐに捕まった奴を平気で「ばっかぁ!」と罵倒していた。終いには女の子に遠くから石を投げつけたことだってあった。卑劣であった。実にいやな感性の持ち主だった。つまり弱い奴を認識なんてできなかった。自分が良ければ良かった。どんなに嫌な思いをする人がいても平気でそれができていた。今から考えると本当に嫌な奴だった。
小学校4年の時、そして6年生の時にそれぞれ転校した。中学進学の時に国立大附属に落ちて私立中学に入った。中学2年の時に横浜に帰ってきて東京の中学に転校した。この進学、転校は自分の人生の中で大きな影響を及ぼしていたのかも知れないと思いだしたのはごく最近のことだ。長ずるにおよんで、その時の自分の気持ちのままに動いていってしまえという傾向があったのは、このころの影響なのかも知れない。しかし、これもまた厭世的なものの考え方、刹那的な動向に傾いた時期を作り出していたようだ。
全てを吹っ切りだしたのは多分40歳を超えてからだろう。だからこそ余計に悔いてしまうのかも知れない。つまりこの感覚を持ち始めてからまだ20年も経っていないから、まだ自分に自信が持てていないのかも知れない。
人生とは難しい。だからその当時の友達に出会うのはなかなか勇気がいる。転校していた小学校時代の友人とはもう何十年もあっていない。最初の小学校、二つ目の小学校の卒業生名簿にはもちろん載っているわけがないし、卒業した小学校では多分行き先不明になっているだろうし、たった一年しか一緒でなかった同級生にとっては嫌味な奴だったせいもあるし、印象が濃いわけがない。最初の中学校からも同様な理由で何も連絡はない。卒業した中学校は昨年になってようやく2-3人の卒業生と連絡が取れるようになったに過ぎない。あいたくないような、あいたいような。喧嘩した相手に、会いたいような、決して会いたくないような。あの頃はこんな奴だったけど、本当にごめんなさいねといいたいけど、チャンスを作るのも怖いような気がする。
きっとそんな人が世の中にもたくさんいるのかも知れない。いっちゃいますか? あの時はごめんね!