ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日記をはじめることにした

バイト先の方が、ブログって知ってますか?とこんな方法を教えて下さった。それでなくてもどちらかといえば自らをさらけること、人前に出ること、パソコンに向かって書くこと、がすきなんだから、ちょうど良いお声を掛けて頂いた。
 日記といえば高校生の時から結婚するまで、大学ノート*1におやじがくれた彼が使い込んだポンプ式の万年筆*2で書くのが大好きであった。自分の手にあたかも融け込むかの如くであった。そうした自分のお気に入りを手にすると書かないわけにはいかない、というよりも書いていることがもうそれだけで快感(ウ〜〜ン、もっと違う表現はないのだろうか)であった。その証拠に一日に大学ノート4ページも書いた日もあった。
 しかし、身を固めるにあたって相手に不愉快な部分もあり得ると、すべて火にくべた。わが家の裏は高い崖がそびえていて、それは大谷石で組んであった。そこにゴミを焼く(当時は焼くことに何も抵抗がなかった)ドラム缶がおいてあったので、それに破きながらくべていった。

今となっては、何とも惜しいことをしたと、悔いないことはないし、連れ合いにはその話をまったくしていないのだから、ますます惜しかったなぁと思うが、それはそれで、一度心に決めたのだから仕方がない。
 そういえば、ずいぶん前に死んだ父親がずいぶん小さな文字でノートに書いていたのを覚えているが、彼が死んだ後、それを探しにおやじの部屋で何度も探したが、まったく見つからなかったのが不思議である。今はすでに呆けてしまった母親は、私があの部屋にはいることにやけに神経質だったから、ひょっとすると彼女がどこかに処分したのかも知れないし、誰かが持ち去ったのかも知れない。それにしてもあの小さな字はおやじの体格からまったく想像ができない文字だった。多分見つけられたとしても、32年前に生まれてはじめてもらったおやじからの手紙が三度読んでようやく読み取れた如く、一文字一文字区切れていない、つまり草書で書かれた日記は読み下すのに、容易なことではなかったであろうことは想像がつく。
それにしても何を書いてあったんだろうか。

*1:そういえばこんな表現を今や誰もしなくなった。確かに私もあのタイプのノートはすでに使っていない。考えてみれば普遍的なつくられ方でわたしたちの世代には何となく懐かしさをかもしだす。高校生の頃東京女子大に通っていた姉が持っていたちょっと横サイズが大きい、変わったサイズの東京女子大のマークが入った大学ノートが好きで、良く買ってきてもらった。あの頃からそうした文具が大好きだった

*2:ボディーに細いレバーが埋め込んであってそれを起こして中のインクタンクを空にして、インク壺に突っ込み、それを戻すことによってインクを吸い込む。ただし、満タンにするとこの万年筆は見事なまでにインクがもれるのであった