ほぼ足りてまだ欲 その先

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利権

出演者の中にはきちんと問題点を把握している適格者もいれば、野球に対する思い入れだけで、今までのあり方に棹さす事は許さないという徒弟制度的体育会系考え方の持ち主もいるわけだ。
ここでもやっぱり二宮清純の指摘はとてもわかりやすい。
日本の野球という業界は大相撲と同じようにこれまでは「興業」の世界である。ここが日本の政治とつながるところである。なんのためにこの活動が存在するのかという本質論を議論し出すとその究極と建前は大きく離反する。政治も野球も、これを進める上でどう儲けるか、という観点しか興行主の頭にはない。とるだけとる、という観点である。それが、得票だったり、利益だったりする。そのプロセスがいわゆる「政治」だったり、いわゆる「野球」だったりするわけである。


日本の将来的野球は如何なる形にあるべきか、というマインドを持って次なる手を打っているのかと云えば、残念ながら「ない!」と云う他ない。だから、新規参入者をいかにチェックし、いかにはじき出し、いかに既存参画者の利益を守るか、という考えしかない。だから、「やる気が本当にあるんなら、二軍チームのひとつも引き受けてここまでやれるんだというのを見えたら、双手をあげて迎えてもらえるよ」(東尾元西武監督)のような話が出る。Livedoorの社長は「ぞうきんがけからやれっていうのはナンセンス」と切り捨てる。ここが体育会的徒弟制度的感覚のずれである。「どこの馬の骨かわからない」といってもその業界に埋没している人こそ、バランスの取れた社会人という観点から見たらまさに「わからない」。