ほぼ足りてまだ欲 その先

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認知症介護の困難

 友人たちの中にも親がそろそろ難しい年に差し掛かってきている人が多い。それは身体的にまだまだ元気であっても、そろそろ認知症(痴呆症)の傾向が明らかに見て取れる状況になっているという話を良く聞くようになってきたからである。昨日あった数人の友人の中からも、「お宅のご両親は如何?」と聞くと「いやぁ、それがね・・」という話が出る。
 大体が、身体は動くのだけれども生活上問題が出てきているというのである。例えば銀行のATMで8万円降ろすつもりで行ったのに、80万円降ろしてきてしまってどうして良いかわからずにそのまま帰ってきた、とか、家事を効率的にできなくなっちゃっていて、手を出すと「バカにするんじゃない」と可愛げのない対応をするんだ、だったりする。明らかに「認知症」の症状が出てきていることがわかる。しかし、彼らの場合はそうはいいながらも息子や娘たちがいるからどうにか暮らしてこられている。
 近所に家族が暮らしてはいないけれどもまだまだ大丈夫だったからひとり暮らしをしているが、そろそろ介護の手が必要となって、要介護認定を受け、ケア・マネージャがケアプランを立てて在宅で暮らしている人たちが沢山いる。こういう人たちが増えて介護保険の利用者が予想以上に伸びた。近くに「あれ?ちょっと変じゃないか?」と気づいて先回りをしてくれる人がいない。いや、いないと云ったら間違いである。介護保険のシステムはそこもきちんと先回りしている。そのために、在宅でケアをしているヘルパーは気づいたことをケア・マネージャに報告をし、ケア・マネージャは訪問して事件を未然に防ぐことができる。しかし、ここで現場は悩む。どの時点でこれを問題視したらよいのか、どこで公的機関と連携をとればよいのか。
 例えばどう見てもこれは詐欺にかかっているんじゃないか、と思った時に親族に連絡を取って進言することを考える。あるいは管轄の警察を訪問して相談する、ということを考える。しかし、まだ完全に詐欺にかかったわけでもない場合には警察はほぼ乗り出してこない。遠くに暮らしている親族は「どうにかして下さいお願いします」で逃げてしまう場合が少なくない。こうしたケースを何十も抱えていたら、微に入り細に入り、ケア・マネージャの手が回るとは考えられない。ここに難しさがある。
 世の中のシステムはどんどん「弧」のシステムに移りつつある。面倒に巻き込まれたくないという意識のもとに生活している人たちが増えていることは否めない。こうなってくると生活圏内でのコミュニティの構築は非常に重要性が高くなる。どこの市や町には社会福祉協議会という社会福祉法人がある。これは社会福祉法という法によって規定されているコミュニティ機関である。しかし、この機関が全住民に十分知られていてその理想像のように機能しているのかと云えばまだまだそこにまで到達しているとは言い難い。そもそもその様に機能しているのだとするとあれだけの規模で間に合うわけがない。一般的な市民は役所とどこが違うのかと思っている。それも無理のない話で、これまでは事務所が役所の別館に入っていたり、職員の中には役所からの出向者が普通にいたりしていた。「え?、役所じゃないの、あれ?」という言葉を良く聞いたものであった。
 認知症の渦中にある高齢者ご本人はもちろん、なんでこんなことがわからなくなってしまったのだろうと不安になっているし、周りはあの人がなんでこんなことになってしまったのだろうかとうろたえる。そこを狙ってくる悪意ある人間はひきも切らない。これだけ、手を換え品を換え人の弱みを突いてくる犯罪者が後を絶たない世の中である。豊田商事の例を引くまでもなく、高齢者に取り入っておいしいところを戴いてずらかる奴らは掃いて捨てるほどいるのだ。
 事件が起きてからでなければ動けない公僕に期待ができないのだとすると、「私僕」を雇うしか方法はないのだろうか。