ほぼ足りてまだ欲 その先

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有料老人ホーム

 (写真:桜吹雪のなれの果て・・・。今年の桜も終わったねぇ)
 有料老人ホームという施設が民間企業の手によって多く設立されている。老人福祉法第29条に規定された高齢者向けの生活施設で、設立前に都道府県への届け出でが必要となる。

第29条 有料老人ホーム(老人を入居させ、入浴、排せつ若しくは食事の介護、食事の提供又はその他の日常生活上必要な便宜であつて厚生労働省令で定めるもの(以下「介護等」という。)の供与(他に委託して供与をする場合及び将来において供与をすることを約する場合を含む。)をする事業を行う施設であつて、老人福祉施設認知症対応型老人共同生活援助事業を行う住居その他厚生労働省令で定める施設でないものをいう。以下同じ。)を設置しようとする者は、あらかじめ、その施設を設置しようとする地の都道府県知事に、次の各号に掲げる事項を届け出なければならない。

 介護が必要な居住者に対して介護付有料老人ホームというのがあって、良くそう宣伝されているけれど、専従介護者がいる場合はこれを「一般型特定施設入居者生活介護」というのだそうだ。多くの場合介護サービススタッフは外部事業者に委託されているように見える。外部の在宅介護サービスを取り入れて、まぁ、いってみれば普通の人が自分の家に住んでいて、ホームヘルパーの手を借りて暮らすのと同じだというのが「外部サービス利用型特定施設入居者生活介護」といわれるタイプのものでまぁ、いってみればこれはただ単なる老人の合宿所だけれど、そこへヘルパーが出入りしているというようなものだ。施設の職員が安否確認や計画作成等をやってくれるということが謳われているから見放されることはないということである。
 これに対して住宅型有料老人ホームといわれるものは、平たくいってしまえば老人専用合宿所でまったく介護に関しては自分の家で暮らしているのと一緒で、家族がかけずり回って包括支援センターを探して介護認定から、ケアマネから頼んでこなくちゃならないし、要介護となった時には自分ひとりの家でないだけ余計に大変かもしれない。
 もちろん「介護つき」という言葉を掲げるには上記「一般型特定施設入居者生活介護」「外部サービス利用型特定施設入居者生活介護」が取り入れられていなくてはならないのだ。

 29条で見るように認知症を患った人に関してはこの施設は排除的である。社団法人全国有料老人ホーム協会というものがある(→こちら)。
 多くの有料老人ホームの案内書を見るとこう書かれていることが多い。

 有料老人ホームの種類にもよりますが、一般的な介護付有料老人ホームであれば、 ほとんどが入居することができます。ただし、生活は集団生活が基本ですので、 他の入居している方に御迷惑になるような行為(暴力や暴言など)がみられる場合には、 入居をお断りされるケースも稀にあります。

 問題はここだ。「他の入居している方にご迷惑になるような行為(暴力や暴言など)が見られる場合には」とされているその「行為」の程度である。
 認知症を患うことになった人たちの多くは初期症状では物忘れ行為が多くて、「あれ?」どうしたんだろう状態だ。そのうちに徘徊行為が始まったり、大きな声でものを言い出したり、時には怒鳴ったり、そんな状況を呈しはじめることになる。
 ようやく見付けて高い金を(一体これが世間の相場としてはどうなんだか訳が分からないままに)払い、あるいは供託し、それほど経たないうちにお断りされてしまうと、今度は家族は路頭に迷う。
 なんだ、手間の掛からないうちは美味しいことをいって受け入れるけれど、いざ手間が掛かるという状況になったら掌を返したようにお断りかよ、とガックリと来る。
 こんなことなら最初から特別養護老人ホームに入れて貰えば良かったのにと思うけれど、こっちは正に高い壁で、保育園の待機児童ではないけれど、待機爺さん婆さんは大変な数に上る。
 法的な問題もあるんだけれど、美味しいところだけを民間企業が持って行っちゃって、いざとなったらお断りじゃ、ずるいじゃないか、という印象を持った人は少なからずいるということなのではないだろうか。
 介護保険ができてからもう20年も経った。あの保険制度ができた時に私は批判的な見解を多くの場合述べてきた。それは適切な介護を必要とする人たちにそれが巧く届くのか、という点で不安があったからである。「措置から契約へ」が売り文句だった。それまで役所が届けてきたものを、民間資本をこの分野に導入してサービス提供者と要介護者との間の直接的・選択的契約による介護サービスを作り上げようとするものだった。しかし、そのサービスを必要とした時に一体どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、お金はどれほどこれから咲きかかるものなのか、安くなくても良いから待たなくても良い方法はあるのか、どうしたら「これで安心だ」という目処が立つのか、わけがわからない。
 しかも選択的といったって、一体全体いつになったらどんなサービスで選択できるほどあっちもこっちもと選択肢ができるようになるというのだろうか。
 まともにそれまで税金を納めてきた人たちが安心して介護サービスを満足に受けることができるシステムにどうしてならないのだろうか。それは瀟洒な設備でなくても良いし、ふかふかのベッドでなくても良い。でも、話しかけてくれる人がいて、食べさせてくれる人がいて、おしめを替えてくれる人がいるならそれだけでいい。そのかわり、それ以上のサービスを欲しいお金持ちは自分でどうにかして下さいね、で良いじゃないか。
 しかし、これまでの政府は「小さい政府」でやっていくんだといっていた。そのためには民間にどんどん任せていくんだと小泉・竹中は大きな声で言っていたし、未だにいっている。その結果できた介護つき有料老人ホームからは「金があろうがなかろうが(とはいえこんなところに入れる人は元々お金持ちだけれど)」認知症が出たら「他のメンバーに脅威を与えるから」ということでお断りされても文句が言えない。
 結局は行く先は長蛇の列になっている特別養護老人ホームか、老健か、グループホームか届けも出されていない火事になったらそれで最期の合宿所しかない。あるいは家族が介護にかかり切りになっていくしかない。
 今現在介護を必要としている高齢者だけではなくて、介護者だってこんなシステムで安心して老いていくことができるのだろうか。
 今のままの状態だと「認知症になってしまう前にこの世におさらばした方が楽ですよ」といわれているような気がする。
 だから、今の要介護認定でも良いけれど、ある一定の要介護度にあるとされた時には施設で介護を受ける、あるいは自宅で24時間介護を受けることができるけれど、その人が貰っている年金、あるいは所有している資産のうち、最低限のものを除いてそれを国庫にいれ、その代わりに介護については保証される、というようなシステムでも作らないといけないのではないかと考えている。
 そのためにはもちろん年金制度が一元化されなくてはならない。それには時間が掛かる。これが実現すると誰も彼もが表に裏にして金を貯め込まなくても良くなって、あっちのITバブルで儲けた兄ちゃんも隠しため込むことが馬鹿馬鹿しくなってがんがん遣ってくれるのではないのかという読みである。
 twitterでのやりとりで、とても140文字ではこの辺の思いを語ることができないと判断したので、こんなエントリーを突拍子もなく書いた。