ほぼ足りてまだ欲 その先

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財産

 歳取ってからもお金が潤沢にある人がなんでいろいろなことになるのか、不思議でしょうがない。「紀州ドンファン」とか、高齢離婚のビル・ゲイツとか、最近の例でも、なんでそんなことになるのかなぁと不思議だ。何もかも余裕がある生活を送っているんだろうに、なにがあるのかなぁと。お金が全くないのも、もちろん困るけれどね。
 人生もうここから先は指折り数えるような時間しかないのに、そんなにお金を持っていたとして、どうしたいのかわからないのかなぁ。
 どんな状態になったとしても、必ず公の施設で最期を過ごすことができるという保証があったら、人間は誠に安心してそこまでの人生を過ごすことができるんじゃないか。つまり、それ以上の財産を形成しても、しなくても必ず同じようになに不自由のない被介護生活を送ることができたら、それまでに全財産を処分する、という方向に動くだろうか。
 例えば、75歳を超えて、人様の介護を受けないと暮らせなくなったら、どんなに財産があっても、500万円くらいまでの資産だけを残し、あとは国庫に入れる、ということを条件に、フルサービスの介護を受けて暮らしていく、というシステムにする。そうすると、そこまでにどんな財産を持っていたとしても、それを消費するか、あるいは寄付をすることにならないか。欲に目が眩んでしまう人は最後の最後まで札束を握りしめて死にたいと思うんだろうか。そういえばあの「紀州のなんたら」はいつでもルイ・ビトンのバッグの中に札束を入れているんだといっていたよなぁ。
 もっとも、今の政権だったら、財産を国庫に召し上げた上で「そんなの知らない」といって路上に投げ捨てられちゃうか。加藤勝信あたりだったら平気でやりかねないものなぁ。

 つれあいの従姉がとうとう認知症が進んできてしまったので、賃貸アパートを出て、有料老人ホームに入った。もうあとがない。外国暮らしの姪がコロナ禍の中、一時帰国してきてケア・マネと相談しながら全部を仕切ってきた。有料老人ホームだというところだけが気になる。特養に入れるのはもうこれから先は希有なことになるのだろうか。姪から家を整理したら出てきたといって、昔の写真が送られてきた。うちの結婚式の写真も入っていた。もうじき50年経つ。