ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

高齢者介護

 ここのところ有料老人ホームや成年後見制度での事件が報じられています。岡山の法人と積水ハウスのジョイント・ヴェンチャーが運営する有料老人ホームでは居住する高齢者が三人も高層階から落ちて死んだといいますし、虐待が日常化していたとして業務改善勧告されました。
 63歳の司法書士が103歳の高齢女性の銀行口座から6,746万7824円もの金額を着服したといわれています。
 有料老人ホームの問題、成年後見人の着服事件といったものは拾い上げようとするといくらでも拾うことが出来ます。つまりそれだけ起こりやすい状況にずっとあるということです。
 こうした制度は2000年のいわゆる「福祉構造改革」で始まったわけですが、この法律が出来てから5年ごとに制度を見直す、ということになっています。しかし、残念ながらこの国の高級官僚が、今では高給を食みつつおこなう「見直し」は本来的な、根源的な見直しにはなりません。彼らはこれだけのエリートたる官僚が作成した制度が間違っているわけがないと思っています。従って見直しというのがそもそも必要なんぞあるわけがないと思っています。民間であれば、その時作成したスタッフが引退してまるっきり構成が異なっていたらそんなことも思わないわけでしょうけれど、彼らはそんなことはありませんから、ちっとも根源的な改革はおこなわれないのです。
 有料老人ホームというのはしばしば平気で「介護付き」と宣伝されていますが、ほとんどは地域の民間訪問介護機関の活動を個々の居住者が契約するものです。つまり施設の運営者は食堂付き高齢者専用アパートを運営しているわけです。ですから、そこの職員といっても介護者として本人も認識していないといっても良いくらいだと認識しておくべきだと思います。
 2000年の改革でこうした介護施設はどんどん民営化に転換され、民間資本の参画を促進して来たるべき高齢者社会に備えたつもりでした。民間による経営と完成の施設運営との違いはどこかといったら、郵便制度の公営と民営の違い、あるいは鉄道の公営と民営の違いと同様に明らかで、公営であれば利用者のサービスの確保に観点がありますが、民営では利潤の追求にあるわけです。つまり、儲からなければ撤退してしまうことが許されます。「潰れちゃったんだからしょうがないだろう」といってやめちゃうことが出来ます。商品を売る企業であれば、それで良いのでしょうけれど、サービスを提供するのであれば、それまでどうしても必要だからとして利用していた人たちはそこで放り出されてしまうことになります。
 特別養護老人ホームは法律であるべき姿が規定されていますから、設備もスタッフもレベルを求められますが、有料老人ホームはそこが違っています。平たくいうと、公認保育園と公認外保育園といっても良いでしょうか。
 志がある経営者を想定して制度が考えられていますが、制度そのものを見たら、そんな志なんぞどうでも良いわけで、元手を借り入れて、器を作り(あるいは流用し)、届け出て始めることは出来ます。
 逆にいうと、そうした高邁な志を抱えて始める経営者、あるいはそういう志を持って介護の仕事に就いた人々をまったく貶める輩が平気で跋扈できる制度なのです。どうしてこんなことで行政は平気なのでしょうか。これでは多くの志ある人たちが撤退していくことを留めることは至難の業です。これでは2000年の改革が根本的な改革になっていなかったことになります。