ほぼ足りてまだ欲 その先

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例外じゃなかった

 昨日の夜テレビを見ていたら65歳以上の7人に一人は認知症を患っていると報じていた。どこかで徘徊していたお爺さんが電車にはねられ、鉄道会社が損害賠償を訴え、結局400万円弱を払えという判決が下ったというニュースも記憶に新しい。つまり、認知症の爺婆をその辺にうろうろさせておくな、というのが裁判所の判断である。これは実はとても恐ろしいことをいっている。
 今でこそ7人に一人かもしれないが、この確率が高まらないという保証はないし、なにしろわれわれの世代は絶対数が多い。先行する世代と同じ率で発症したとしたって、俄然数は多い。そうかといって今の政府の日々の関心から見たらそれに併せて特別養護老人ホームが増えるとはとても思えない。そのための備えとして何が聞こえてきているかといったら、かつて個室を基本とすると理想を語っていたものが、とにかく相部屋でも数をこなす、に後退してきた。そのうち、介護に携わる人間の数もどんどんハードルを下げる結果となるだろう。
 そうなると特養の中も拘束やむなしに大後退してしまい、それでも入れた人はまだましで、そうでない連中は有料老人ホームに入ってないがしろにされるしかないだろう。なにしろ子どもたちが介護に専念したら、自分たちが暮らせなくなってしまうわけだし、それでなくたって、多くの場合、労働環境はわれわれが現役だった時に比べたらもう悲しくなるくらいお粗末だ。
 問題はどこの施設でも介護を受けることのできない高齢者、しかも認知を病んでいる人たちの老老介護である。
 テレビに出てきたご夫妻は旦那89歳、奥さん86歳だが、この奥さんはすでに認知で、一人で食事をしながら独り言を延々と喋っている。しかし、身体は旦那に比べようがないくらいしっかりしている。寝る時も布団の中で延々と独り言を喋っている。旦那が「何を喋っているんだ」と聞くと「え、喋ってなんていないよ」と答える。
 うちのおふくろも最後の頃はほとんど四六時中一人で喋っていた。彼女の話には悪者お婆さんと、それを諫めるお婆さんが出てきた。
「もういったい何時になったらご飯を出してくれるんですかねぇ」(実際は食べたばかり)
「でも、今なんかやっているみたいですよ、そろそろなんじゃないですか」
 こんな具合で、起きている時にはずっと続いていた。残念ながら身体の方が弱ってきてしまっていたから歩いて出て行くことはなかった。
 これをみたら、自分たちはいったいどのような状況で最期の時を迎えることになるのだろうと、考えざるをえない。
 何をきっかけにがたがたと驚くような状況に陥ってしまわないとは限らないのがこの世の中なんだといくら口を酸っぱくしていっても、今現在有利な立場に立っている人たちは、自分がそんな状況に苦しむことにならないという保証はない、といってもその気にはならないから、いつまでもこの部分には根本的な検討がなされない。彼らは手立て(いわゆるコネ)を使って、あるいは金を遣って有利な老後を送ることができると思っている。だから、そんな面倒なところに手をつけようとは思ってもいない。
 つまり、やっぱりここでも想像力というものが機能しないのだ。
 老人が自ら人生を絶とうと思うような世の中では、若者だって暮らしにくいのに決まっている。