ほぼ足りてまだ欲 その先

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グループホーム

 長崎市認知症グループホーム「ベルハウス東山手」から2月8日午後7時40分ごろ出火。入所者ら男女12人が搬送され3人が死亡。
 長崎市が防火扉の不備を建築基準法違反に当たるとして二度にわたり行政指導したのに施設側が放置、改善していなかったと翌日報じられた。
 昨日の毎日新聞は火元が二階の男性の居室にあった加湿器にショートした痕があって、ここが火元ではないかとと報じている。
 このグループホームはテレビの画面で見ると普通のグループホームのような一戸建てのものではなくて、ビルの中の2フロアーを使っている施設のようだ。防火扉の問題はあったらしいけれど、スプリンクラーの設置については適応されるべき延べ床面積以下であったために義務化の対象からは外れている。
 本件については国会でも取り上げられている。公明党太田明宏国交大臣はスプリンクラーの設置についての基準を見直す必要があるかも知れないということをほのめかしている。
 一見正しい対応のように見えているが、実は非常に大きな問題点を抱えている。グループホームという施設は一体何のために作られるようになったのかを考える必要がある。なにもこんな小さなしかも防災施設が必要だったり不必要だったりするような施設がこんなにたくさんなくても良いのではないのか。完璧な設備が整っていて、夜間の人手も充分に準備されている老人ホームに入ればいいじゃないかということになる。今日本の高齢者介護施設は「特別養護老人ホーム」というものがあるはずだ。
 ところがぎっちょん、この施設は必要充分な施設数を備えていない。利用者のウェイティング・リストはいつまで経っても短くならない。これは今後どんどん高齢者の絶対数が増えていく将来を考えると短くなるはずがない。そうするとどうするのかといったら本来的には入院から退院して自宅療養への過渡期的に使用する施設であるはずの介護老人保健施設も実態は長期滞在というケースが見受けられる状態に陥っている。
 そんな中にあって収容利用者数が10人以下であるようなグループホームはその制度の隙間を埋める重要な役割を実は担っている。どんな隙間かといったら比較的身体的には極度に衰えていないけれど、認知症を患っているという高齢者が集まって少ないケアの手によって運営されているために、開業がしやすく、極論をすると数の足りない「特養」を数の上で保管する機能を果たしている。正確にいうと認知症の人たちを対象とする場合これを「ケアホーム」というようになっているが。
 非常に極端なことをいうが、個人の家で認知症の人が暮らしていて、火事が起きた時に果たして必ず助かることができるのだろうかということを考える。もし、認知症の人がひとり暮らしとなっていたとしたらケアハウスに暮らしている場合と比べてどちらが安全だろうか。火災に限らず、すべての面でどちらが安全だろうか。
 スプリンクラー設置を義務づけると何が起きるのかといったらこうした施設が店じまいをせざるをえなくなる可能性が限りなく高くなる可能性がある。
 例えば、グループホームを運営しようとする法人に対して必ず毎年税から補助が出され、介護従業員が今の二倍にすることができ、防災設備も完璧にすることができる、そんな税制になっていればより安全性は向上することができるだろう。
 しかし、アベシンゾー自公連立政権社会保障費をどんどん削減することを公言してはばからない。その代わりに特別会計には手をつけないばかりか、予算の執行をやりたい放題にできる様にして行きつつある。
 こんな状態でどう法を見直すというのか。根本的問題の解決を遙か彼方に追いやっておいて、目の前を糊塗することで通り過ぎようとするこの内閣を7割もの日本人は支持するというのか。嘘だろう。とても信じることはできない。