ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

これこそ千客万来

 アルバイトの職場に何人もの友人知人が顔をお見せくださった。論文に取りかかっている人たちはいよいよ佳境に入ってきているころ。自分がそうであったころを想い出す。今頃が一番悩ましいころだ。もっともっと読み込まなければならないものがあるような気がするし、探してみると確かになにか見つかっちゃったりする。それでいてじっくり読み込んでいる時間がありそうには思えなかったり。「えぇ〜い!」と割り切って書き進もうとするとどうしてもその辺がまた気になったりして。どんどん人と話をしなくなったりするものだから、自分の気持ちはうちへうちへと入り込んできてしまうし。だんだん、不安の極地に自分を追い込んでしまうものである。分かっているのにそうなる・・・。そんなときはわっ!と発散したらいいのに、そうもできなかったりして。


 卒業して三年目の若者がやってくる。この社会で決して力を持たない、だからこそ圧迫されて生活している人々の力になる仕事を続けている。とても重要な仕事にもかかわらず、行政も社会のマジョリティーも「誰かがやらなきゃいけないけれど、それは俺じゃない」と思っている仕事だから、いくら頑張ってもその仕事で生活できる報酬を得られない。こういう若者がきちんと目標を持って生活できる仕事でなくちゃならんと思うが、「いろいろ」で済ましてしまう権力者にそれは理解されない。だから、行政もそれを理解しなくても良いとして行動する結果となる。
 そういえば先日の新聞に高齢者介護の施設はそれでも利益率が8-10%だと報じられていた。人件費があんなに常軌を逸した状態にあってなにが利益率だと腹が立つ。こんなに使命感を持つ若者たちをその報酬ゆえにその使命感に冷水を浴びせ続けているシステムにあって「利益率」云々を語るのは順序が逆。民営化、つまり私有化というのはこうした数字を語ることになるということではある。これで、施設利用料を上げなくてはならないという論理にいってしまうわけか・・。


 大学院を受験しようとしている学生にとってはそろそろ秋試験の時期である。うまく目標を見つけられていると良いのだけれど、もっと深い研究をしたい、と思っていてもそれが一体なんなのかと具体的なターゲットを見つけられない場合もある。だったら、それを見つけられるように違うジャンルの可能性もたぐってみる必要があるのだけれど、それではどこか他の大学、学部に編入してみようというのはとても度胸がいる。その上、自分である方向性を見つけられていないとそれもただ単なる時間の経過をたどることにもなりかねない。そのために情報を探る必要がある。しかし、中には私のように、次から次へあっちを向いたり、こっちを向いたりしている奴もいるのだから世の中うまくいかない。何しろ今は「戦後の天皇」だものなぁ。