ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

お盆

 今日は送り火か。集合住宅ではもうそうした習慣を保つことはできない。このあたりに住む子どもたちはもうそんな習慣のことを聴いたこともないだろう。寺の施餓鬼にいく。あれがまた辛いんだ。ただただ待っているのだから。
 どうやらいつもより遅くいったようで、お寺の玄関に到着するともう受付に並んでいる人なんて一人もいないで、既に本堂でお経が始まっている。慌てて挨拶。お寺の奥様のことはお庫裏さんというらしいが、こちらのお庫裏さんがまた随分と素晴らしい人で、年に一回しかお伺いしない私のこともきちんと覚えておいでである。今日は一人なのかということまでお聞きになる。兄弟姉妹がいることを覚えておられるということである。
 お経が終わると総代の方たちが卒塔婆をどんどん本堂の周りに立てかけ始める。本堂の裏山に墓地をお持ちの方々は卒塔婆を受け取ってから自分の家の墓にそれを建てに上がっていく。わが家は墓が他にあるのでいつもお施餓鬼にきて卒塔婆をいただき、一旦家に持ち帰って、それから改めてお墓に持っていく。というわけで今日も新聞紙で来るんで、それを風呂敷に巻いて持ち帰る。
 このお寺にお世話になり出したのはわずか10年強前からの話である。死んだ父は三男坊であったのでわが家には父が死ぬまで墓地もなければ菩提寺だってなかったわけである。わが家では父や母、あるいは兄弟姉妹がもし死んだら、どうするのかというようなシミュレーション的なことに関する会話は「縁起が悪い」という意味での暗黙のうちのルールがあったと私は理解しているのだけれど、全く語られなかった。だから、死んだ父は晩年、近所の神社に毎日といっても良いほど犬を連れて通い、その本殿の前で、長い時間(それこそ時間が止まってしまったのか、お辞儀してしまったまま彼が固まってしまったのではないかと思うほど)礼をしていたのにもかかわらず、そんなことを誰ひとりとして省みることもせず、田舎の本家の跡取りであった従兄弟に電話して「どうしたら良いんだ」と聞いた。彼は即座に本家の菩提寺の住職に相談してくれたのである。なんと菩提寺の息子の大学時代の同級生が私の実家から電車で7つ目くらいの駅に近いお寺さんの息子なのだというのである。早速電話をしてもらって、この寺に駆けつけたというわけである。
 2年半ほど前におふくろが死んだ時にも、何も迷わずにもちろんこのお寺に電話をして駆けつけた。私は父とも母とも生前に「あなたは死んだ時にどうして欲しいのか」と尋ねたことはない。だから、両親がこれで満足しているのかどうかは分からない。尤も死者が満足か不満足かを感じるものかどうかすら知らない。この国の文化的平均的な習慣に従ったまでであると云ってしまえばそれまでだ。確認しておかなかったのだから無難な線を私が選択したということである。
 それ以来、私は私が死んだ時は、私の宗教で、あるいはなんら宗教色がなく、友達が集まって忍ぶ会をしてぼろくそにくさしてくれればよいといっている。極端なのは連れ合いで、彼女はなんと、誰にも云わなくて良いから、さっさと荼毘にふして埋葬してくれ、というのである。いやいや、その骨もどこかに撒けるものなら撒いてくれとさえいう。無宗教もここまで来ると天晴れではある。