ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ドミニカ

 昨日も引用した週刊金曜日2006.09.01(No.620)には7月29日にサントドミンゴで開催されたドミニカ日本人移住50周年記念祭の様子が語られている。語っているのは1988年2月からドミニカの日本人移民を取材し、撮影をしてきた栗原達男である。私は知らなかったのだけれども、当日は尾辻秀久特使が内閣総理大臣小泉純一郎名の「詫び状」を渡したのだという。「飯大蔵の言いたい事」毎日新聞に掲載されていたという小泉首相のお詫び談話が掲載されている。週刊金曜日の当該号の35頁に日高武昭さんのお宅の仏壇の、明らかに手製と見られる位牌の前にその詫び状が供えられている写真が掲載されている。小さい写真だから文字がよく見えないが、どうやらこの談話そのものを印刷して配ったらしい。「談話」を印刷しただけのものだから、もちろんその「詫び状」なるものには○○様、とした宛名は書かれていないし、内閣総理大臣たる小泉純一郎の印が押されているものでもない。つまり、新聞記事をコピーしたものとなんの変わりもない。
 多くの移民達は当時、国の忠告に従って金や物を準備していった。今度の見舞金(あくまでもお見舞いであって賠償ではない)は最も多い人で200万円である。実際の話、彼らが当時持ち込んだ様々な資金、ものを考えるととても足りない。ましてやその程度の金では日本に帰って生活を構築することはできない。つまりあの金は手切れ金か。騙された人がいけないとでも云うのだろうか。
 外務省の1960年代から綿々と続く言い訳の第一はトルヒーリョ大統領が失脚したことをさしての政治の不安定化、である。いいなぁ、いくらでも言い訳を考え、恥を知らないでいられる人たちは。岐阜県庁の退職者達のように辞めちまえば関係ないと言い張れるもんなぁ。まぁ、こんなことをいったらなり手が居なくなるかといえばそんなこたぁまったくないだろうにね。
 この記事では尾辻特使が両手を膝について上半身をおって「お詫び」をしている写真が掲載されている。その後ろにはメインテーブルで立ち上がって拍手をしている嶽釜ドミニカ日系人協会会長と民主党川内博史衆議院議員が映っている。他のメインテーブルに座っている人達は座ったままこの二人を見やっている。写真のクレジットには「土下座は立場上できませんが」と尾辻特使が前置きしたと書かれている。どの立場のことを云っているのだろうか。首相特使が土下座をするというのは尾辻氏自身の判断で許されるものではない、という意味のことのようだ。日本を出る前にそんなことを首相に確認していくなんてできない相談なんだろうか。多分そう判断するんだろうな。
「飯大蔵の言いたい事」というブログにアップされていた毎日新聞掲載の小泉の談話全文とはこんなものである。

1956年から59年までの間に行われたドミニカ共和国への移住事業については、実施期間全般を通じ、入植先に関する事前調査や情報提供が適切に行われなかったなどの事情により、移住者は生活の立ち上げに当たって多大な困難に直面しました。その後も、同国社会の著しい混乱や全土にわたる自然災害の頻発といった不幸な事情もあいまって、移住者の方々は長年にわたる労苦を余儀なくされました。私は、移住者の方々が苦境を乗り越えて努力を重ね、我が国とドミニカ共和国との友好関係の発展に寄与されてきたことに深い敬意を表します。
このドミニカ共和国移住をめぐり、去る6月7日、東京地方裁判所においてドミニカ共和国日本人移住者損害賠償請求訴訟の第1審判決が下されましたが、その中で当時の政府の対応について厳しい指摘があったことを真摯(しんし)に受け止めております。政府の当時の対応により移住者の方々に多大な労苦をかけたことについて、政府としては率直に反省し、お詫(わ)び申し上げます。
 政府としては、ドミニカ共和国移住問題について、移住者の方々が高齢になられていることなどを総合的に考え、できるだけ早期かつ全面的に解決を図ることが必要であると判断しました。このため、当時のドミニカ移住者の各人に対し、その御努力に報いるためにも、特別一時金の給付を行うことといたしました。今後、立法府においてこれを実現するために必要な措置が早急に講じられるよう、協議を進めてまいります。
 また、04年3月の私の国会での発言に基づき、政府は、日系人社会全体の利益及び我が国とドミニカ共和国の友好関係発展のためにどのような対応ができるのかとの観点から、移住者の方々との対話と調整に努めてまいりました。その結果、日系人社会の拠点作りへの支援、移住者保護謝金の拡充を含む高齢者及び困窮者支援、移住者子弟の我が国への招聘(しょうへい)等を通じた人材育成等、更なる協力を積み重ねていくこととしております。同時に、移住融資についても、急激な為替変動により過重になった債務負担を軽減する等速やかに解決を図っていきます。
 本年はドミニカ共和国移住50周年を迎え、一連の記念行事が実施されます。政府としても、移住者の御労苦に敬意を表するため、ドミニカ共和国移住50周年記念式典に、私の特使を派遣する予定です。同記念式典が、我が国とドミニカ共和国双方の人々による暖かい祝賀となることを心より期待しております。
06年7月21日
内閣総理大臣 小泉純一郎

これはどう見ても「詫び状」と云えるような代物ではないだろう。なぁにが「暖かい祝賀」だっての。それにしてもこんな直ぐにばれてしまうようなその場しのぎをしていて良く平気でいられるものだと思うのと同時に、この辺の話はマスコミが報じたのだろうかと調べるともう既に記事はウェブ上には残っていないが、産経新聞は7月30日付で記事にしたようだ。南日本新聞の7月31日付記事はまだウェブ上に残っていた。

ドミニカ移住50周年記念祭 友好親善懸け橋誓う 尾辻氏、おわび代読
 【ドミニカ共和国で社会部・宮田佳成】中米ドミニカ共和国の首都サントドミンゴで29日あった日本人移住50周年記念祭で、移住者らは苦難の歴史の継承を確認し、両国の友好親善の懸け橋として尽力することを誓った。小泉純一郎首相の特使で現地入りした尾辻秀久厚生労働相は首相談話を代読し、おわび。移住史に残る歴史的な一日となった。
 あいさつした嶽釜徹・記念祭執行委員長(68)=知覧町出身=は日本政府の当時の対応について率直に反省しおわびした談話を踏まえ、「他界した137人の同胞とともに高く評価し、いまだ祖国日本はわれわれを捨ててはいなかったと、明日に向かって頑張ろうではありませんか」と友好関係の発展を訴えた。尾辻前厚労相は談話のうち「おわびとともに皆さんの努力に報いるための特別一時金給付、日系人社会の拠点作りや人づくりなど協力措置を約束した」という、謝罪と補償の部分を代読。「本当にご苦労さまでした」と移住者に向かって深々と頭を下げ、移民訴訟に加わった会場の移住者一人一人に首相談話の写しを手渡した。壇上には半世紀の間に亡くなった137人の名前を書いた慰霊碑が設けられ、嶽釜さんら代表者が献花。現地に残った入植者一世約50人のうち、健在な家長ら33人に功労賞を授与した。ドミニカ移住は1956(昭和31)年7月始まり、1319人が入植。広大で肥よくな農地は無償配分されず、177人が2000年以降、国に損害賠償を求めて提訴。請求は今年6月棄却され、原告は控訴した。政府は記念祭直前に謝罪を含む和解案を提示、原告は控訴を取り下げ、政治決着した。

ドミニカ移住日本人の中には鹿児島出身者が多くいるといわれているようだ。