ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

一億火の玉だ

 大型の写真集になっていて、図書館から借りてくるのが重かった。ほぼ10年前に発刊されたもので、多分その頃が戦争を経験した世代がまだ生き残っている最後の節目だっただろうという気がする。いくらこの種の本を読んでも、国家総動員大本営体制というものがとんでもない状況だったというのが、もうこっから先通じなくなるんだろうなという気はする。あれを経験した人たちの多くは詳細を語らずに来た、というより思い出すのが嫌だったんだろうなという気はする。読めば読む程甚だ乱暴な時代で、とにかく声が大きくて、単純に勢い込んで乱暴を働くことが大手を振る時代は実に嫌だったことだろう。まさに反知性主義、そのものである。

 25日以降のテレビを見ていると、あぁ、これが国家総動員という報道の入り口なんだろうなという気がする。
つまり大本営発表である。
どこの局の放送を見ても、「汚染水」といわずに「処理水」といっており、どこの局でも中国からの「抗議の電話」ではなくて「嫌がらせ」だといっている。日本政府は中国やフィリピンに特使を派遣して「なぜ放流しても大丈夫なのか」の説明をするわけではなくて、在日中国大使館を呼びつけて「厳重抗議」をしている。
 やることをやらないで、なんでも閣議決定で強行し、強弁するのが安倍・壺つながり・晋三以来の日本政府のやり方だ。
北朝鮮に出かけていって「拉致被害者を返せ」といったのは小泉純一郎の時の一回限りで、それ以降は「厳重に抗議」をするだけでやっているふりをして誤魔化してきた。
 そんな連中を見てきたからなのか、民主主義を放り投げだしてしまった日本の有権者はもうそんな閣議決定独裁国家のいいなりになってしまった。大変残念なことに、タモリがいっていた「新しい戦前」は確実にやってきた。
 戦争を実体験として記憶に残していた世代がとうとうこの世からほとんどいなくなったら、ものの見事に元の木阿弥となってしまった。自分で自分の首を絞めていく。

 今日はあちこちでかけて、やることをやっておこうと思っていたのに、隣の区の図書館に行って、予約してあった本や古今亭志ん朝のCDを借りだしたら、なんとそれが大変な重さになってしまった。端っから重たいものを背負い込んでしまったので、とても、あっちこっちへ出かけること叶わず、すぐさまめげて、ごく近場で終わって帰ってきた。

 無印の「水出し白桃グリーンティー」をステンレスのボトルに作って、思いっきり冷蔵庫の氷を打ち込む。これを机に持ってきて、しきりにグビリグビリとやりながら本を読んだり、パソコンで岸田文雄の行状を見張ったりしている。これなら万が一ひっくり返っても大丈夫。今年の夏はあまりにも暑すぎる。


 ところで、最近の人は「ほぼ」という時にどうして「ほぼほぼ」と重ねていうのか。出てくる人たちが殆どこれをいうので、「よぼよぼ」のこちらは気色が悪い。

 「ゴマキ」と呼ばれる芸能人の弟なるものが八街市議会議員選挙に立候補して、当選したんだそうだ。定員20名に対して立候補者24名。一時芸能界にデビューするも好き勝手やって引退。建設工事現場からの常習金属泥棒で逮捕され、5年半の実刑判決。4年半で仮釈放になるも、全身に入れ墨を彫ってこれ見よがしにしたような男が全体の2位同数で当選した。投票率はわずかに39.34%である。この国は多分もうだめだ。