ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日本の石炭政策

 夕張市財政破綻を報ずる番組があちらでもこちらでも放映される。今朝のテレビ朝日は夕張出身のディレクターに現地を取材させて報じていた。炭鉱の町というのは石炭の採掘会社のほとんど城下町である。だから、その企業がやっていけなくなると勿論のようにその地元は疲弊する。それなのに、夕張は高級メロンだったり、映画祭だったり、そんな状況の中から再生してきた自治体なんだとばかり思っていた。
 石炭といえば常磐興産という会社はあのスパ・リゾート・ハワイアンズ(私たちの世代でいえば「常磐ハワイアン・センター」といわないとどこのことかよく分からない)で再生したとよく云われてきた。今でも集客施設として良く取り上げられる。銀座の晴海通り沿いのビルの上に「スパ・リゾート・ハワイアンズ」の広告を見た時には随分雰囲気が変わったイメージが作ることができているなぁと思った。とはいえ、私は一度もいったことがない。川崎と横浜の鶴見の境界線あたりにできた波のできるプール施設がイメージ作りに大いに失敗していたことを考えると永年の経験が功を奏しているのだろうか。忌憚のないご意見はこちら常磐興産は石炭から全く手を引いてしまったのかといえばそうでもなくて、石炭の輸入販売を企業活動の一部として今でも行っている。観光部門の売り上げは全体の四分の一くらいではないだろうか。
 最後まで炭鉱を稼働させていたのは太平洋炭礦である。釧路にあった海底炭鉱から出炭していた。2002年1月30日閉山し、関連会社を含め約1500人が解雇されたが、翌日1月31日に540名を再雇用して、釧路コールマインとして事業開始。年間70万tの採炭をしている、とgoo wikipedia記事検索に書いてある。なんとまだ国内で採炭している所が存在するのか。「2004年以降の中国の石炭需要増大による石炭価格の国際的な上昇に伴い、内外価格差の解消がなされ業績堅調。設備は全て太平洋炭礦が所有するため、もたざる経営を鉱山で実施している」というのはものを知らない私にとってはとても意外だった。同社のサイトには「ベトナム、中国、インドネシアを対象に大規模な炭鉱技術海外移転事業」を行っていると書いてある。この辺にキーがありそうな気がしないでもない。こちらをみると日本の炭鉱ではなくて、どこか外国のロング・ウォール炭鉱を見ているようである。釧路が大変に例外的に恵まれた山だったのだろうか。もともと不動産開発部門だった太平洋興発は今でももちろん輸入炭の取り扱いを行っているが、その主流は不動産開発だろうか。東京では有料老人ホームの運営も行っている。
 もうほとんど忘れているのだけれど、石炭業界には大規模な事故が必ずあった。夕張も大きな事故があったがもう私はどれがどこだったのか、それがいつだったのか想い出せない。そして石炭産業には昭和30年代から国会に石炭対策特別委員会が構成されてその行く末について議論し、行政が法制度の整備に傾注してきたのではなかったのだろうか。どうしてこんなことになってきてしまったのかをこれから少し考えてみたいと思っている。
こちらの文献「炭鉱労働者の閉山離職とキャリアの再形成」や衆議院の議事録から「石炭対策特別委員会」に関するものなどをちょっと読んでみよう。