ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

筆記具

 今朝の「ちい散歩」は入谷、根岸で古い文具屋さん、そしてガラスペンやさんが出てきた。文具屋さんでは消しゴム附きの鉛筆を削り、パイロットの万年筆をいじり、そして8本の溝がついたガラスペンを作るところを見せてくれた。
 万年筆といえば、私が生まれて初めて手にした万年筆というのは多分小学校を卒業するときに担任の遠藤先生から戴いたものだと思う。当時私は静岡県清水市(今では静岡市に吸収されてしまって静岡市清水区だなんてことになっている。あんなことして政令指定都市になって一体なんのメリットがあるのかわからない。そういえば京都市の北の方だってそのまんま村だった方が風情があって良かったかも知れない、と無責任な発言)に暮らしていてその先生に受験のための補習をして頂いていた。挙げ句の果てに第一志望は大失敗だったのだけれども。
 昔とはいえ中学生が万年筆なんて巧く使えていなかったと思う。その割には中学進学といえばお祝いが万年筆、というのはかなり大人扱いだったのではないだろうか。そういえば高校生の時には学生服の胸のポケットにそうした筆記具を指していたものだったけれど、今時はそんなものを胸に挿している人はいないなぁ。あれをやると胸ポケットの縁がふにゃふにゃになってしまうのでとてもイヤだったという記憶がある。学生服の襟の内側にセルロイドのカラーをしていないくらいにイヤだった。
 その次に確か軸の色がパステル調の薄い緑の万年筆があったような気がする。シェーファーだったのか、ペン先がほんの少し覗いているという当時としては万年筆らしくない万年筆だった。
 最もたくさんの文字を書いた万年筆は前にも日記に書いたことがあるのだけれど、親父が学生時代から使っていたというエボナイト軸のインキ吸い込みレバーのついた、どこのメーカーのものかもわからない万年筆であった。万年筆はペン先だというのが実によく分かる万年筆だった。多分親父が学生時代に手に入れたのだろうから、私が使うまでにすでに30年は経っていたのではないかと思う。彼の古いノートが出てきたことがあったが、とても細かい文字で万年筆で書いてあった。その後はペリカンのものを就職祝いにもらったことがあったが、今はどこに行ってしまったのか紛失している。
 今使えるようにしてある万年筆は数本ある。一番頻繁に使っているのはペリカンペリカーノ、ペリカーノ・ジュニア、グランプリ、エポックP360、パイロット・カスタム74の太字、LAMYサファリなんていうところ。そういえばかつての職場では帳簿つけに青や赤のボトルに入ったインキを使ってつけペンを使っていたものだった。今時机の上にふたの開いたあぁしたものをおいてなんておけない。危なっかしくてしょうがない。そうして考えてみるとやっぱりそれだけゆったりと仕事をしていることができたということを現しているんだろうと思う。それがどんどん仕事の処理に使える道具がどんどん出てきて、おかげでどんどん忙しくなってきたわけだ。
 そういえば鉛筆をナイフで削るなんてことをやっちゃあおられないのが今のペースといって間違いはなさそうだ。小学生の頃、うちの親父は毎朝髭を片刃のひげそりを使って剃っていた。だから捨てようと外した片刃のウィルキンソンとか、フェザーのカミソリが洗面所の棚においてあった。それを貰ってまずこれから使う鉛筆を削るのが毎日の夕食後の作業だった。それを角がすぐに欠けてしまうセルロイドの筆入れに入れて、ランドセルの隅にしまって学校に行くわけだ。しかし、高校受験の勉強をしている頃は、さぁ勉強をしようとするときにまず鉛筆を削り、予定表を書いて、そのまま本を読みふけってしまったりして、ちゃんとやらなかったなぁ。ぐるぐると回して削る鉛筆削り機がわが家に導入されたのは一体いつ頃のことだったろうか。物足りない気がしたものだけれども、木の軸、芯が削れた匂いを私は好きだった。当時、可愛い女生徒の持っている筆箱の中の鉛筆がきちんと削れてなかったらがっかりしたりしたものだった。
 ガラスペンは今でも銀座の伊東屋さんで見ることができる。それほど今や少ない。今日の「ちい散歩」を見ていると安くないのも仕方がないかという気になる。今あのガラスペンを使っている人は一体どんな用途にあのペンを使っておられるのだろうか。私もあれが欲しい気もするんだが、一体インキボトルを横にして何に使ったらいいのか、考え込んでしまうだろう。