ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

本屋

 今月号の「論座」に出ていた小田実の話を読んで、彼が自分の遺書かも知れないといっていた「中流の復興(生活人新書)」を探しに行ったけれどターミナル駅のデパートの本屋にはなかった。その代わり季刊「あっと」の8号を入手。この雑誌はどんどん分厚くなってくる印象がある。上野千鶴子の「ケアの社会学」は第七章に入って、生協福祉について語る。そうだ、季刊「前夜」の12号が出ているはずだと見回すとなんと11号が書棚にある。店員さんに聞いてみると・・持ってきてくれたけれど、棚にだすのを忘れていたのだそうで、これでは売らないようにしているということになってしまう。表紙を見ると第I期完結と書いてある。この先の方針が決まっていないようだ。こうしたスタンスの刊行物が生き残ることの難しい状況は理解できるのだけれども、それを支えられないのはちょっと忸怩たる思いがする。

社会保険庁の職員は国家公務員ですが、かつては「機関委任事務」といって、実務は自治体に委任していましたから、各地の社会保険事務所の指揮監督は都道府県知事、ということになっていた。(中略)時間内集会などをやると、ノー・ワーク、ノー・ペイということで賃金カットされるわけです、県職員の組合員は。ところが社会保険事務所の職員は処分されないんですよ。基本的な身分は国家公務員なので、国家公務員法人事院規則が適用されるから、処分するのは社会保険庁の本庁になるわけなんです。しかし、日々の志木指揮・監督は知事ですから、知事が本庁にそう報告しなければ、社会保険庁としても動けない。知事も、あんまりいろいろいっていらぬ責任を背負いたくないし、煩わしいことにタッチしたくない。(月刊「論座」2007年8月号「<宙に浮いた>社会保険庁」46頁)

は、はぁ、なるほど、これなら誰も手を出すわけがない。ということは知事、社保庁、厚生省みんなが改革する気がなかったということであって、雇用者としての義務を果たさなかったという点ではボーナス一回分なんてもので終わらせるというのも納得がいかないが、それすら拒否している何人かの名前をこの際ハッキリしよう。そうでないとこれまでと同じように責任の所在を分散してうやむやにするということでなんら「改革」という言葉に値しない。