ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

借り出した本

 久しぶりに母校の図書館に入って、懸案の図書を借り出す。ここの図書館は開架の本の数が非常に少なくて、すぐに書庫にまわってしまうだけでなく、20年くらい前のものは遠隔地の保存庫なるものにどんどん送られてしまう。それがキャンパス内にあるいくつもの図書館でそうである。その保存庫にある図書を借り出そうとすると申し込んでおいてもう一度出向かなくてはならない。それでも卒業生が借り出すには利用証の毎年の更新だけでなく、クレジットカードを作れとまで要求される。つまり、貸し出す気はないけれど、少しでもメリットを学校側に与えるのであれば、一度に3冊まで、2週間に限って貸してやるというものである。それも年に3ヶ月ほどは中に入れてもくれない。なんだか邪魔なんだけれど、しょうがないから一歩譲ってやったとでもいわんばかりの扱いである。そのくせ、何かというと卒業生のご協力が、という美味しい言葉だけはばらまく。団塊の世代が引退時期を迎えるとしきりに学校へ復帰しないかキャンペーンを打つ。そのくせ社会人経験を持つ学生の受け入れに真剣に備えているのかといえば、各学部でバラバラである。つまり表面的なポーズは上手いということだ。・・・どんな本を見付けたのかということを書こうと思ったのに、学校に対する文句になってきたなぁ。

  • 「日本帝国陸軍精神障害兵士」清水寛、細渕富夫、飯塚希世 不二出版 2006 :旧国府台(こうのだい)陸軍病院、現在の国立精神・神経センター国府台病院、の1937年7月-1945年9月の病床日記(故浅井利勇氏が保管した複写資料)をベースにした研究成果。膨大な資料を駆使しているようだ。「選りすぐられた精鋭が精神異常など起こすはずはない」という姿勢を聞くと、あぁそうした論調ってあぁいう層を酔わせるんだろうなぁと思う。「栄えある」とか「輝ける」とかって言葉が好きだよね、あぁいう人たちは。
  • 自閉症スペクトラム 浅草事件の検証-自閉症と裁判-」高岡健+岡村達也著 批判社メンタルヘルス・ライブラリー14 2005 :後半にいわゆる「レッサーパンダ帽事件」に関する座談会と控訴取り下げにまつわる経緯等が掲載されている。「コミュニケーションのできない人からどの様にして自白調書が取れたのだろうか」「(彼は)平成6年、おもちゃの鉄砲を使って話しかけたら、女性が一時的にいうことを聞いてくれたという経験をしています(p.130)」「僕の受け取り方が人とは違うのは何故だろう? それが障害かな?(p.142)」こうした著作を読むと、私たちがテレビや新聞を通して知り得る事件の概要というものは、客観的な意味での概要ではなくて、捜査機関が威信をかけ提示しようとするその意思の上にあって発表される概要なのだということである。そして刑事事件の判決というものがその審理過程でどの様な議論が進められていたとしても、裁判官が非常に主観的にその意味を分類、はっきり言えば腑分けして結論づける、そうしたものなのかも知れないという気がするのである。