ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「新宿寄席」

 年末恒例の永六輔矢崎泰久の「新宿寄席」が新宿の紀伊國屋ホールで開かれた。これで何年この会を見に来ているんだろうか。今年の席は後ろのブロックの前から2列目だった。始まり出すと私の目の前に佐高信が来て座る。

入歯亭

 永六輔と矢崎は刺し子の火消し半纏で外山恵理と登場。矢崎が都知事の話とか、違憲である自衛隊が存在する以上税金は払わないとか永を刺激するように語ると、永は「俺を巻き込むな」と笑いを誘う。彼らは私の知らないことをぽろりぽろりとお披露目する。ここで永が憲法第99条をそらんじてみせる。「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」だけどこの条文を守っているのは天皇だけだ。他の該当するものたちの中には「尊重していない、擁護していない」輩が跋扈しているじゃないかと指摘。なるほど、仰る通りだ。話はぽぉ〜んと飛んで、矢崎得意の分野にはいる。競馬のテラ銭は25%だけれども宝くじはもっとひどい。300円のうち152円が持って行かれちゃう。ギャンブルも民営化したら良い。アメリカのギャンブルのテラ銭はたかだか5%だから、というのだけれど、ありゃあ一種の寄付行為だと思わないとねぇ。それにしてもだれかJRAの実態にメスをいれんか。マスコミがやるわけはないな。あれだけ宣伝費を投入して頂いているものねぇ。
 小沢昭一菊池寛賞を貰ったという話を初めて聴いた。何を書いたのかと思ったら『TBSラジオ小沢昭一の小沢昭一的こころ」で三十五年にわたり中高年へ励ましのメッセージを送り続け、また亡びゆく風俗や放浪芸の記録と紹介にも大きな役割を果たしている』ということ(TBSのサイトから)なのだそうだ。あの番組がお昼あたりにまだ流れているというのは知っていたが、ほとんど聞かない。自分の部屋の位置からするとアンテナを張ってもTBSラジオが雑音混じりになることも影響している。それにしてもラジオも対象になる菊池寛賞ってのはなんだろうかと思ってみると、「菊池寛賞は、故菊池寛が日本文化の各方面に遺した功績を記念するための賞で、昭和27年に制定されました。同氏が生前、特に関係の深かった文学、演劇、映画、新聞、放送、雑誌・出版、及び広く文化活動一般の分野において、その年度に最も清新かつ創造的な業績をあげた人、或いは団体を対象としているもの」とTBSのサイトに注釈がついていた。かくいう永六輔も2000年に第48回菊池寛賞受賞者のひとりで、「放送タレントとしてTBSラジオ「土曜ワイド」などを担当し、庶民感覚あふれる内容と語り口でラジオ放送に一層の親しみと楽しみを与えつづけてきた活動」を評価されている。この時の同時受賞者のひとりがあの「佐藤愛子」というところも笑えるところだ。(→こちら)ところで小沢昭一がかみさんを亡くしてひとりになった永六輔黒柳徹子と一緒になればいいと言いふらしているらしい。永六輔は「さてはその上で三人で徹子の部屋に出ようと思っているな」とにらむ。池部良の話が出た。「往年の映画スター」と紹介されることを彼は嫌がる。「私は今でも“映画スター“なんだ!」と。それは私もラジオで聴いたことがある。あの人はテレビに出ない。で、「ここは本屋だから」と矢崎がいって紹介する。池部良は今年また本を出した。幻戯書房 から出したもので「天丼はまぐり鮨ぎょうざ―味なおすそわけ」というタイトルである。1918年生まれだから来年で90歳になるということだ。驚きである。

小円歌

 例によって円歌の弟子、浅草生まれの浅草育ち、既に芸歴28年の三味線漫談(漫談だろ?)の小円歌。いろいろ弾き分けてみせる。この人の唄の微妙なバイブレーションは好きではないけれど、三味線は良い。「今やこうして語っているのは玉川スミと私の二人だけだという。すぐに私ひとりになっちゃう」と云う。柳家小菊の藝はそれではなんとしようか。彼女が終わると佐高は席を立って楽屋に行く。

北山修

 九大の精神科医は二年前に大受けした(昨年はサバティカルだったからこうした活動を自粛していた)。MacBookを持ってきてパワーポイントを使って、あたかも授業のようなことをする。「芸能から学ぶ人生論」。要するに人生を劇的観点から見てきた歴史を振り返り、その結果、一般人までが人生を演じ続ける結果、芸能人の楽屋に相当するものであったはずの「わが家」すら表舞台となってしまって、その楽屋の役割を果たすのが今や精神科医クリニックとなっているのだという話。だから、躊躇せずに精神科医の扉を叩きましょうと聴衆の概念を揺さぶる。「先日甲状腺の検査に行った。すると待たされる。そんな時、何もやることがない。そこでこれまでの人生、来し方をつらつらと考えた。いいですか、病院の待合室は非常に意味があるんですよ!」

辛淑玉

いやぁ、出てくるなりまたもじゃんじゃん刺激をしていく。彼女は昨年アメリカに一年間行っていたのだそうだ。周りの高校生が髪の毛を伸ばすのだそうだ。何でかと思ったら三年間伸ばすと少なくとも二人分の鬘(かつら)の材料に売れるんだそうだ。そしてそれは彼らができる支援に使えるという手段なんだという。ここでイラクで見捨てられた香田証生を取り上げる。彼が人質となった時に彼女は別件で国会議員会館にいた。その時ある国会議員が彼を称して「今度はプータローかよ!」と云ったのだそうだ。あの三人を自己責任だと突き放した日本の世論はここでは彼を見捨てた。彼を殺したのは他の誰でもない、私であり、あなたなんですよと彼女が突きつける。香田は現地からのビデオで「彼らは自衛隊の撤退を求めています。私は死にたくありません。」とコメントしたのに対して小泉が「自衛隊は撤退することはありえない」と即座に反応。つまり小泉は香田をこの一言で見捨てたのであり、その小泉を支持したのは私達日本の国民である、とはっきりと主張。あれで私達は国家に反逆するものは見捨てられ、それで良いのだという社会を構成した。この延長線上に辺野古基地問題がある。自衛隊は既報のように辺野古の調査実施に際して掃海艇をこの地に派遣した。それは抗議する沖縄民衆をはっきりと弾圧するためであった。いよいよ自衛隊が国民をその対象に上げてきたと云うことである。彼女は辺野古の活動支援のための経済的支援を呼びかけた。彼女の本職は「香科舎」という人材育成コンサルタント会社の代表なんだそうだ。しらなんだ。

佐高信

 辛淑玉のあとでは佐高の話もいつもほど先鋭的に聞こえない。城山三郎の「お別れの会」で弔辞を三人読むことになった。堤清二、佐高、渡辺純一だった。佐高は昔から正しく渡辺純一を最低にランクしている。私もここには文句がない。そんなくらいだから渡辺純一も佐高のことを快く思っているわけもない。しかも、席順も佐高の後ろだ。妻を先になくした城山に渡辺純一はしきりに再婚を勧めたのだそうだ。次から次に女性を紹介して。城山は渡辺に「しかし、この人たちは君のお古じゃないんだろうねぇ・・」と云ったという。堤清二は「今まさに戦争ができる国になろうとしているこの時に城山を失うのは残念だ」と述べた。参列者の中には中曽根も、小泉純一郎もいた。佐高は「城山三郎の本質は勲章拒否と護憲だ」と弔辞を述べた。中曽根は大勲位である。中曽根がどんな表情を浮かべるのかと思ったら中曽根は眉ひとつ動かさなかった。と、ここまで云ったところで客席の携帯がピロ、ピロと鳴る。(渡辺の弔辞がなんだったか私は忘れてしまった。)佐高は「中曽根の回しもんじゃないでしょうねぇ・・」と。終わったところで三々五々人が帰るなか小泉が「純ちゃん、最高の弔辞だったよ!」と渡辺に話しかけたという。大学で同期の佐高には目もくれず。
 城山三郎は海軍に志願。広島の大竹で8月6日の原爆を迎える。当時、「原爆(新型爆弾)は白い服を着ていれば防げる」と云われていたのだそうだ。「特攻は志願にあらず、社会、軍がそう思わせたんだ」と説明してきた。「新自由主義は旧市場主義、ジャングルの自由主義だ」という佐高の説明は先日のシンポジウムと同じ主張だった。これだけ近い間で佐高を二度聴くわけだから相当に話は重なるのかと思っていたけれど、ところがドッコイ、そうでもないのには感心した。さすがだ。最近の共同通信から地方新聞に繋がるマスコミの方が全国紙に比べると遥かに健全ではないかという彼の主張には私は大いに頷くものだ。長谷川慶太-堺屋太一-小泉/竹中に対抗してきた城山三郎-内橋克人-佐高信の一角が崩れたがそのまま崩していくわけにはいかない。佐高は最後に防衛産業としてみると山田洋行やそこからスピン・アウトした新会社なんてものは大したことはない。日本の防衛産業のメジャーである三菱重工こそが防衛伏魔殿の大本山だ。マスコミは誰もこれを書かない。こうである以上、これから信頼できるのは週刊金曜日だと結ぶ。週刊金曜日三菱重工の連載をしていた。

カンジヤマ・マイム

 とりはカンジヤマ・マイムのカンジヤマAこと藤倉建雄。(→こちらブログが面白い。)立教大経済→米国ニューヨーク州立大でtheater artsの修士ウィスコンシン大学でeducational theaterで博士。で、今や喋るパントマイム。子どもに教える英語も研究しているんだと云って、「on」と「off」の概念をよりわかりやすく説明。「on」は「上」じゃないんだと。「くっついている状態」を「on」というんだと、わかりやすく説明。離れている状態を「off」と理解すれば良いんだとput onとtake offを教えてくれる。最後は指先の運動はすなわち脳によい影響を与えるといろいろ客を動かす。ここの客は年齢層が結構高いのだけれどどんどん前向きに舞台に乗っていく。

予告編

 これでお開きだったのだけれど、よほどのこと28日のオークションの切符が売れていないらしい。例年、こんなにオークションの入りが悪いという話は聴かなかった。オークションでも同じように5千円の入場料を取ること自体が「No」と云われているのではないだろうか。オークションなんだからせめて2千円程度の入場料にしないとダメじゃないのか。
 永六輔が日頃いろいろな人から貰う手紙の封筒を捨てる時に、個人情報そのものなんだから、住所と差出人の名前を切り離して捨てるのだそうだ。その時にその人の名前を綺麗に切って、これを色紙に貼ったものを作ってきた。サインが集まったものと考えればよい。これを二枚出して「さぁ、いくら、千円!」と云ったけれど、誰も声をかけない。しょうがないなぁと云いながらもっと大きいものを出した。「三千円!」といったら即座にどどどっと値が上がって一万円になった。大きなもの一枚ではなくて三枚全部をその人に出した。
 オオタスセリ(ブログはこちら。)が飛び入りで「お局さんのラジオ体操」をやった。

帰りの売店

 オオタスセリが自分のCDを前にして「ストーカーと呼ばないで」を唄っている。出演者の著書が並んでいる。その中で辺野古への経済支援を訴える辛淑玉が持ってきたアクセサリー売り場には女性が殺到していて多分持ってきた30個はあっという間に売れたんだろう。

ご挨拶

 銀座泰明小学校前路地の「JAZZ COUNTRY」に年末のご挨拶にお伺いした。忘年会帰りの若者集団が元気だ。年末のご挨拶だったのに、支払いを忘れて帰ってきてしまった。なんだ、結局年越しの借金を残してしまったのだ。車を拾う列に並ぶがなんだか久しぶりの風景だ。タクシー近代化センターなんてものが頑張っていたのは一体どこの街の話だったのだろうか。個人タクシーは乗り場を全く無視して路地に潜んで客を拾う。値段が上がってますます悪くなりつつあるのかもしれない。規制緩和のなれの果てだ。