ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日知ったこと

「兵役を拒否した日本人 ー灯台社の戦時下抵抗ー」 稲垣真美著 岩波新書(828)1972から

 「灯台社」は明石順三(1889-1965)が渡米中にものみの塔の洗礼を受けたところにその起源があり、彼が1926年に帰国してからものみの塔の日本支部として設立した。軍事ファッショ化していく日本の中で彼らは戦争反対の立場を貫き兵役を拒否していく。天皇の現人神を否定。不敬罪治安維持法違反の嫌疑により逮捕、投獄される。戦争中にものみの塔の第3代会長になったネイサン・ノアは新しい教義を創り出していく。戦後、鹿沼に明石を訪ねてきたワッチタワー総本部の文書伝道者から受け取った文献、機関紙を読んで大きく変化してしまったものみの塔に、反対の意味をこめて7ヶ条からなる長文の抗議をした明石順三に対し、米国のものみの塔は逆に明石を追放する。つまり現在のわが国で活動をしているものみの塔と「灯台社」には全くの関連性がない。
 それにしてもあの戦争中に正面切って「良心的兵役拒否」を貫くその生半可でない自らの信条に対する行動には頭が下がる。

月刊「論座」2月号「残す」ということ〜アーカイブズの哲学〜」から

 日本でも国立公文書館法の制定により、従来は「行政機関からの文書」に限定されていた移管対象が「国の機関で保存期間が満了した文書」へと拡張され、法律上は立法府、司法府の文書も国立公文書館に移せるよう道筋がつけられました。ただ、三権分立の下で、まず三権の長の間、具体的には国会なら衆参両院議長、裁判所なら最高裁長官と内閣総理大臣とが合意して初めて文書が移管されることになります。未だ合意そのものが成立していませんので、立法府、司法府の文書は公文書館には入ってきていません。霞ヶ関の各省庁でさえ、総理大臣と各省大臣が協議して合意されたものだけが公文書館に来る仕組みになっているため、各省に「渡せない」「保存期間を延長して当面は現用文書とする」などといわれてしまうと無理に移管せよとはいえません。

 多分、そんな程度じゃないかとは思っていたけれど、なんちゅう先進国か!?あっきれ返って口がふさがらない。あわぁ、あわぁ・・。なっさけないなぁ。だから、庁舎の地下室にうち捨てられていたりするっちゅう分けかぁ。