ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ラジオ深夜便

 夜中に眼が覚めると日曜日の晩だからテレビもラジオもどんどん早仕舞いである。こんな日曜日はNHKのラジオ第一放送の「ラジオ深夜便」しかない。しかも今日はうちの辺りではFMでの放送もない。ラジオは他に駐留軍放送(もうそんな云い方はしないのだろうか)のAFN(かつてのFENの方が通りが良いけれど)しかない。
 「池谷・関彗星」で知られて関勉氏の話が聴けた。私の頭の中では関さんというのは若い人だったつもりだったのだけれど、考えてみれば初めて名前を聞いたのは随分前の話であって、そのまま私の頭の中で固定されてしまっていただけの話であって、どうやらもう75歳を超えておられるようだ。1984年9月のハレー彗星の日本最初の発見でも知られているのだそうだ。聞き始めたときは聖路加国際病院の日野原先生が喋っておられるのかと思ったくらい声やしゃべり方が似ておられる。あの「池谷・関彗星」が発見されたのは1965年の話で、もう40年以上も前の話になるのだそうだ。こちらに立派なウェブサイトが構築されている。このサイトのブログにはすでにNHK・高知のアナウンサーが天文台に来たことが昨年書かれている。このブログの中にも書かれているのだけれど、関勉氏が天体に興味を持たれたのは1937年、当時小学校入学前の関少年が第1回南国博覧会に行ったところから始まるそうだ。入ったお化け屋敷からお化けに追われて怖くて竹藪を突き抜けて外に出ると、そこにあったのが「太陽館」という建物で、この年盛んだった太陽の黒点を望遠鏡から映し出して見せてくれていたのだそうだ。そこから彼の天文への関心が始まったというのだ。ここに招き入れてくれたのが天体望遠鏡の制作者で、のちに60cmの反射望遠鏡芸西天文台に寄贈してくれたという五藤斉三だったのだそうだ。高知市のサイトで見ると「鏡川ぞいの柳原で1937年3月から5月までの45日間、開かれた『南国士佐大博覧会』」のことのようだ。
 彗星で知られた関勉氏だけれども、どうやらその後のこの60cm反射望遠鏡でなんと223個もの小惑星を発見してきており、その第一号は「GOTO」という名前が付けられているのだそうだ。母親の名前も付けたそうだが、随分後の小惑星にようやく奥さんの名前が付いているという。奥さんは愛情が分かると喜ばれたそうだけれど、これが多分米国の話だったとしたら奥さんの名前を付けるという行為は相当にプライオリティーが高いだろうなぁと聴きながら思った。今回芸西天文台の望遠鏡は新型のものに新替されるそうで、その撮影もCCDに替わるのだそうだ。