ほぼ足りてまだ欲 その先

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袖の下

 袖の下という日本語は英語になると「Under the Table」となるらしい。机の下でやりとりをするものだったのだろうか。ある地域にある外国にものを売り込んだり、そんな国から仕事を請け負ったりするのに、その資金が国際的公的金融機関による援助だったりしたものだから競争入札が原則ではあったけれど多くの場合、そうしたどこから出てくるのか分からないけれど、相手国の要人にそうしたものが集まるような仕組みになっているのが当たり前とされていた。今でもそうなのかどうかは私は全く知らない。けれど当時は○○マネーと呼ばれているようなそうした裏金が要求されていたという話がかつては良く語られていた。そんなことはあって不思議はないんだろうなぁと聴いていた。中には多分に間に入って口をきいた人間がそんなブラフをかけていたのかもしれないし、そうした話が日本からの賠償金替わりの援助プロジェクトで大きく聞かれていたことなんかから考えるとひょっとして日本側のエージェントがそれを要求していたのかもしれないなぞと今頃になって考えたりする。
 そうした国に行くと入国審査の時に係官が妙にしつこく絡んできたりして、おかしいなと思うとなんかしらくれるものはないかという意味だったりする。当時はなんとあの百円ライターひとつでスムースに通ったという話もあった。だからわざわざそんなものを用意していったりしたものもいる。どうしてそんなことが起きるのかというと倫理観の問題もさることながらあまりにも職業による収入の格差が大きくて、かれらは公務員としての給与だけでは賄えずアルバイトをするくらいなのでなんでも欲しがるのだと説明されていた。
 アフリカのある国では日本から船で運び込んだ荷物がようやく長い時間が掛かって通関が終わって出てきてみると、通関のために木枠の箱が開けられるのはわかるが、ものの見事に中身が均等に盗まれていた。そうした環境の中にあったら人はここで儲けなければどうやって儲かるというのかというくらいの平気の平左感覚になるのだろうか。するとこの国でもどんどん収入上の格差が拡大してくるとそんな感覚がもっと平気になってきてしまうのだろうか。余裕がなくなってくると「なんで俺がこれくらいのことをして許されないというのだろうか」という感覚が普通になっていくのではないだろうか。
 ある国の元高官が死んだことを聞いて思ったのはこんなことだった。