ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

いい子ぶったことを・・

 そういわれるのを覚悟して云うのだけれど(尤もとっくの昔からそんな具合だけれど)、私はあの「大食い」系のテレビ番組に我慢がならない。あの人たちは本当は不必要なのに、芸のひとつとしてそれを見せるわけだけれども、それが満足に食べ物を調達できない人たちを大笑いをして馬鹿にしている様な気がして仕方がないのだ。だから勿論そんな場面が映し出されるとすぐさまチャンネルを切り換えるのだけれど、それでもいつまで経ってもそんな番組がなくならない。そんな笑いものにするくらいならただでみんなに配れよと云いたくなるのだ(自分が旨いものを喰っているクセに何をいいやがる、という声が聞こえてくる・・)。せめて自分は無駄にしない様にきっちり食べようと思う。
 そういえば子どもの頃はめしの度にお茶碗の中の飯粒を残すんじゃないと云われていた。考えてみるとおやじもおふくろも農家の出だから彼らも多分食事の度に爺さん、婆さんから云われていたんだろう。それにあの戦争の頃は白米を喰らう都会の人間は恵まれていたんだろう。私が物心が付いた頃というのはそれでもまだ何でもかんでもあるわけではなかっただろう。しかし、私は押し麦入りの米を食った覚えがない。それはなぜかというと親の郷里から食管法を犯して米を貰っていたからなんじゃないかと思う。その証拠に近所の家で時として昼飯をご馳走になった時に押し麦入りでうちとは違うなぁと思ったのだ。だから、当時の食糧事情としては平均を超えていたのではないかと思うのだがどうなのだろうか。長ずるに及んでおふくろが云うには「うちは肉体労働に従事していると認識されていたから当時の配給が普通のサラリーマンより多かった」というのである。そんなこと、本当にあったのだろうか。
 時として突然おやじがグリーンピースが混ざった塩味の飯を炊け、といっていた。今は豆やら雑穀やらが混ざった飯が旨く思う様にはなったが、実は私はこの種の大きな豆が混ざった飯が当時は好きではなかったから、またあの飯かとウンザリしたものだ。何で今これが食いたいのかという説明を必ず彼は子どもにしたのだけれど、それによると、学校の生徒だった頃に何人かで海に行き、海水をそのまま使って豆の入った飯を炊いたら、それがことのほか旨かったのだそうだ。それはその青春の一頁の出来事であり、しかも空腹でたまらない海辺の出来事なんだから、旨いに決まっていると云って良いだろう。それを彼は時として想い出し、その想い出に浸るうちに、あぁ、そうだ、あれを食べたい!と思ったのだろう。
 人形町玉ひで」の親子丼は本当においしいんだろう(食べたことがない)。だからといってこれ見よがしに7杯おかわりしたとテレビで言い放つのは止めてもらいたい。(侘びしいおやじの言葉である。)