ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

夜行列車

 両親が岡山の出身だったから、子どもの頃から親戚が上京してきたり、私たちが行ったりする時は必ず「急行瀬戸」だった。これは宇野から東京へやってくる夜行列車で、横浜には朝着く。横浜から岡山へ行くと昼前に岡山に着く。子ども三人で行った時は三等座席だった。両親といった時にはなぜか特別二等に乗った。特二は椅子がリクライニングした。この話を姉にするときっと「依怙贔屓されていた」とまた云われることだろう。以前に子どもの時にたまに連れていって貰ったレストランで姉はハヤシライスを食べた記憶があるというのだけれど、私のそこでの想い出と云ったら海老フライで、「あんたは依怙贔屓して貰っていた」と云われたことがある。多分末っ子だったからそうだろう。
 あれは確か、ひいお婆さんの葬式の時だったと思うのだけれど、その時は当時の二等寝台に乗っていった。さすがに親父はひとりで中段のベッドに寝たと思うけれど、私は母親と一緒にあの狭いベッドに寝た。ダカラか知らないが、なかなか寝付けず、信号が来るとドップラー効果で遠ざかる信号の音と灯りが通り過ぎるのを見ていた。
 中学一年の時に暮らしていた清水の社宅は夜になると、1kmほど離れた東海道線を通る列車の音が良く聞こえてきていた。それを聞くと、「急行瀬戸」で行き来した頃のことを思いだしたものだ。中学の三年の時に、従兄が浪人生活を送るためにやってきた。その後岡山へ行ったのは本当に数えるほどで、最後に行ったのはその従兄のおふくろ、つまり私のおばさんの葬式で、もう、10年以上行っていない。