ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

VAN JAC

 ところで「報道ステーション」だったかという古館の番組で往年のVANジャケットの話をやっていた。この辺の話はここのところとみに多くて、石津謙介の息子の祥介だったかが出てきて語るんだけれど、これがおやじにそっくりな話し方で、あぁ、そんなことになっている訳なのね、とまたまた思ったものだ。高田純次やら浅井慎平やら作家の誰かさんが出てきて「VAN」のおかげでいろいろなことを知っただとか、学ランの下にVANのボタンダウンを着ていったという話をしていたが、私とてその例外ではなかった。つまり簡単に石津謙介率いるVANの戦略にひっかかっちまって(喜んでやっていた訳だけれど)、そんなものに全く染まって浮かれておった。そんな私たちを快く思っていなかった、まともな、商業主義に犯されない、尊皇の志士の様な諸君も勿論高校にはおられて、黒くなくてはいけない上履きの代わりに私が学校の下駄箱に持っていったいわゆる“スニーカー”(この言葉も今じゃ随分と普通の言葉になったけれど、これすらひょっとするとメンズ・クラブで普及した言葉かも知れない)なんてものはあっという間に盗まれてしまった。それでもめげずに「白でなくてはならない」と決められていた学ランの下に着る“ワイシャツ”の代わりに白いオックスフォードのボタンダウン・シャツなんてものを着たり、革靴をスリッポンにしたりしていたものだ。今じゃ制服のスリッポンなんて女学生も嫌がっている・・・?
 そんなある日、私の家に差出人の住所どころか名前もない封書が届く。開けてみると一枚の便箋が入っていて、正確な文章は全く覚えていないが、云ってみれば「コマーシャリズムに浮かれて、チャラチャラしているそんな奴らはVANのマークの入った猿股(これも完璧に死語だなぁ)でもさぞかし履いていることならん」的なことが書いてある。まぁ、今で云えば匿名のメール、あるいは「通りすがり」と称して人のブログにコメントを書き散らす様なものだろうか。ま、チャラチャラした風潮に釘を刺す「尊皇攘夷派」とでも云う様な志士諸兄だったのだろう。なにしろ三島が市ヶ谷で自害するのはこれより5-6年後のことだろうから、もうそうした風潮は確かに存在していたはずだ。ところがこれは保守反動だという訳ではなくて、日本の伝統をきちんと見据えて暮らせ、チャラチャラするんじゃないという甚だ真面目な発想だったんだろう。当時の私と云えば、これまでの伝統に縛られる生活はなんぼのもんじゃ!と根拠もなく二の腕を振り回していたに過ぎない。
 当時の日記帳は何度も云う様に焼き捨てているから何も残っていないが、当時毎日の様に「常識とは何か、常に常識なるものは変化していくのが当たり前であり、いつまでも個人がそう思いこんでいるに違いない価値観に縛られているのは、全く意味を持たないのだ、あの戦争でこれほど世の中は変わっているのにもかかわらず、それを認識していない大人たちはバカだ」というようなことばかり書き綴っていた。だから、「チャラチャラ暮らす」こともそうした「常識」をぶち壊す、その一環なんだ、なんて意識していた様な気がするが、そんなものはただ単に簡単にVANのマーケッティングにすっかり載せられてしまった結果に過ぎないのであって、彼らに良い様に稼がれちゃった、という図式だろう。それなのに今でもシャツを買う時には「まず、ボタンダウン」と思っているんだから、世の中影響されやすいのだ。ま、歳をとるに従って襟を立てたくなるのはクビ周りの老化を隠すという意識なんである。その証拠に昨日も着ていた長袖も半袖もボタンダウンだったのである。
 懐かしい話題なんだけれど、なんとも無惨な想い出なのだ。