ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

SLC → Yellowstone

やっぱり時差を克服できていないらしくて、夜中に目が覚めてしまう。ここで起きてはならないはずなのに、起きてしまう。

同行9人

 朝の出発が比較的ゆっくりの9時だというのでのんびりした朝をと思っていたのだけれど、案の定短時間で目覚めてしまって、しょうがないから午前7時にホテルに隣接するコーヒーショップに行く。すると昨日フードコートで見かけた我々よりも少し歳上とお見かけする日本人の女性三人と男性一人のグループに遭遇。ご挨拶をするとやはり同じツアーへの参加者だと云うことだったけれど、ずいぶん海外になれているようだ。後でお話しをしてみるとご夫婦とその妹さんたちということだった。仲の良い兄弟姉妹で羨ましい。そのうちのお一人のお嬢さんがこの地で何代も暮らす米国人の男性と結婚しているのだそうで、それでこの地をよくご存じの様子。そのお嬢さんは現在は日本最大の会社の米国東部にある現地法人で働いている旦那さんとそちらに暮らしておられるそうで、全員でこの後はそっちに向かうのだそうだ。後からお話を聞いていけばいくほどわかってくるのはどうやら転勤族だった方がおられるらしくて引っ越しの連続だったようだけれど、かつての経験でいえばそういう生活を送った人というのは間違いなく恵まれた収入と退職後の恵まれた年金が保証される人たちで、何しろ海外への旅行は西はアフリカのサハラ砂漠から欧州各地、中近東、オセアニアと広がっているらしく、とても太刀打ちできる相手ではなかった。
 もう一組は東海岸で三年間の研究を終え、今月中には日本へ帰国するのでそのおみやげに参加したという若いご夫婦と4歳のお嬢ちゃんの三人家族。現在最も先進の基礎医学の研究者のようである。
 参加者はこれだけで車は座席が4列のバンである。ドライバーは日本に何年もいたことがあるという、42歳のモルモンの青年で、もちろん日本語は堪能。こういう仕事をして何年にもなるらしくて何でもよく知っている。なにしろ、Salt Lake Cityを出発してまず彼が語り出したのはアメリカの歴史だったくらいだ。
 この地に何代もの歴史を持つ家系の男性に娘さんを嫁(とつ)がしたお母さんやら、代々この地にすむモルモンの青年を前にしたらこの宗教の異端性なんかについて語るなんてことはとてもできない。何しろモルモンはこれまで差別されてきた歴史を抱えながら資源や技術の力を今享受しているといっても良いかも知れないが、話の中身が「強いアメリカ」になっていく。

28年ぶりのIdaho Falls

 Idaho Fallsまでの間はそんな話に終始しながら淡々と車は15号線を北上する。私にとってこの道を辿るのは1979年のクリスマスに、当時ホームステイしていた家の旦那の実家があるIdaho Fallsにいって以来のことだ。
 昼飯はおそらく元マクドナルドか何かの店だったと思われる建物を居抜きでそのまま使っているChineseの店に入る。どうやらドライバー君のお得意の店らしく、彼は顔見知りだった。そうだろう、そうでなかったらとてもこの店に入る勇気を持たない。周りはもうほとんど何も店が入っていない元ショッピング・モールとおぼしきところで不気味この上ない寂れ方なのだ。店の名前は「Chinese Super Buffet」といってその名の通りに中華のバイキングなのである。何でこんな処にと思いながら入ったのだけれど、これがなかなかの掘り出し物で、前日の昼、夕とフードコートの中華を続けて食べていたにもかかわらず、とてもうまい。そして一人なんと8ドルくらいなのだから、次から次にとお客が平日の昼飯にもかかわらず引きも切らないのには驚いた。

霰(あられ)から雪へ

 20号に分かれて一車線対面交通の道をひたすら北上しだした頃から空はにわかに曇りだし、気がついたらあられが激しくたたきつけ始める。イヤな予感だ。West Yellowstoneの街は明らかに雪の中である。それも今日の昼から降り出したという感じ。国立公園の中には看板はおろか商店というものは限られたところでしか開かれていないし、どうもその経営自体もNational Parks Serviceによって管理されているようだ。その代わりに公園に入る直前にはごくごく普通の商店街がそのための連なりを構成しているらしく、West Yellowstoneの街はかつての西部劇に出てくるような町並みにしなくてはならないという縛りはあるようだけれど、各種の商店が並んでいる。特に私にとっては釣りのためのタックル・ショップが気になる。こうした自分の興味を満足させるためにはやはり自分で車を駆ってやってくるしかない。
 ゲートのところでもらった地図はYellowstoneのHPでアップされている地図そのものだった。私はこの国立公園は全部ワイオミングなのかと思っていたらそうではなくて、ほんの少しアイダホとモンタナに及んでいる。Madisonで南への道を辿るが、雪はますます激しく降り続け、とてもこれが6月の天候とは思われない。ガイドの話では花のシーズンは既に通り過ぎているというくらいのことだからこの地域の天候としてもとても普通ではないのだろうけれど、当たり前のように降り続ける。まず最初にやってくる見所としていくつもの蒸気が吹き上げるFountain Paint Potで車を初めて降りる。セーターを着込むけれど寒い、寒い。本当にダウン・ジャケットが必要だったと後悔する。しかし、出かける前に話を聞いたいくつもの代理店でも「ダウンまでは必要ないでしょう」と口を合わせていっていたくらいだ。そのまままっすぐ南下していよいよOld Faithful Geyserである。これを見なくてはYellowstoneに来たといえないだろう。しかし、雪はいよいよ降りしきる。到着してみるとほんの寸前に吹き上げた後のようだ。と、いうことは約70分くらいの時間を待たなくてはならない。

かの有名な間欠泉

 その間にこの国立公園最大の木造建築であるOld Faithful Innの見物をすることにする。ロビーはてっぺんまでの吹き抜けでかつては一番上まであがることができたけれど、50年ほど前の地震で危険視されたそうで、それ以来お客は3階までしかあがることができない。あがってみるとロビーの真ん中にどんと聳えている石積みのチムニーがとても存在感がある。そしてマントルピースには本格的に火が燃えている。この雪で外の遊びを諦めたのか、2階、3階のテラスには椅子に座って思い思いの時間を過ごす客で椅子がいっぱいだ。スーベニア・ショップも相当充実している。スナック・カウンターのサンドイッチの値段はどれもこれも8ドル以上して結構なお値段である。
 約束の時間が来てロビーで皆さんと合流するとガイドが車に案内する。間欠泉を見るのに何も車で移動するほどのことはないだろうと思ったら、なんでもちょっと前に、私たちが滞在する予定のGrant Village(あのグラント将軍にちなんだ名前である)に至る道が閉鎖されていたのだけれど、現在は通れるらしいので、今のうちに現地に着いてしまおうという考えなんだという。この雪では途中の山が海抜が高いのでまた閉鎖になる可能性がないとはいえないというのだ。外はまだまだ明るいとはいえ、時間はもう既に19時を過ぎている。道路が閉鎖されてしまって、反対から回り込んだとしたら大変に遅くなるという。結果的にはその道路閉鎖が交通事故に起因するもので、道路上の雪はほとんど支障がなかったのだけれど、そのときにはそれはわからなかった。

Grant Village

 部屋に荷物を置いてから全員でレストランに向かう。かなりきちんとしたレストランだけれど、もちろん公園の中だからドレスコードなんて全く関係ない。豪勢な食事をとる。私のセレクションはなんと「バイソンのミートローフ」で、とてつもない量があり、ちょっと脂分の少ないビーフのミートローフという感じだけれど、添えられていたマッシュポテトも、ちょっと苦みのあるほうれん草もおいしかった。おかげでお腹いっぱいで明け方まで苦しむことになる。何もあれほどの量をサービスする必要はないのでは、と悩む。連れ合いが頼んだのはエビとホタテのリングイニィで、しっかり味がついたおいしいものだったけれど、これまた量がものすごい。空腹だったのと寒さに震えたものだからしっかり食べてしまって朝方苦しんでいたらしい。
 噂の通りホテルの部屋にはラジオもテレビもない。ガイド氏はあの「9.11」の際にこの公園に入っていたのだそうだけれど、スケジュールを終えて出てきたときにそれまで知らなかった事件を知って大変に驚いたといっていた。シンプルな部屋はそれでよいのだけれど、バス・ルームの照明スイッチがこれまで見たこともないほどの大音量で動く換気扇に連動しているのはほとほと参った。夜中にトイレにはいるのに連れ合いを起こしてしまうこと必至である。明け方にはついに真っ暗な中、わずかに扉を開けてトイレを使うに至る。