ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

SLC→SFO→LAX

  ホテルのただの空港へのシャトルは朝の6:30にならないと走らないというので、タクシーを呼んでもらった。そうしたらやってきたのはボディーにシャトルと書いた空港専門の車だった。運転手はもちろん移民一世でそれほど英語がうまいわけではない50代のおじさん。
 空港まではおおよそ15分で、15ドルだった。ティップは1ドルしかださなかった。けちだなぁ。ユナイティッドのカウンターでセルフチェックインをするとサンフランシスコでの接続便が出てこない。おかしい。どうしてなのかと思ったらこの二つのフライトをいっぺんに予約しないで、別々に予約したからだったと判明した。こういうところがインデペンデントで旅程をアレンジし、自分ですべての手続きをやる上での面倒くささでもあるけれど、これが面白いのだ。ユナイティッドの係のおばさんはとてもよく動いてくれて、バゲッジをスルーにしてくれ、そこからセキュリティーに向かう。ここではパソコンを取り出すのももちろんだけれども、靴を脱ぎ、ベルトも取り、コートを脱ぎ、帽子を脱いで何もかも箱に入れなくてはならない。
 さすがにSalt Lake Cityの空港だけあって、待合室には髪の毛を短く刈り込んで、上下黒のスーツに身を固めた、見るからにモルモンのミショナリーにこれから出かけるんだというスタイルの若者が何人もいる。モルモンの若者たちは2ヶ月ほどの言語訓練をBYUのそばにある言語訓練センターで受け、現地に入っていくのだそうで、詳細については先に赴任している先輩たちから教わるのだそうだ。だからそれほど現地の言語をマスターできなくても出かけていくというのだから、出発に際して緊張しているのだろうことは推察される。
 また、かつてに比べるとここの空港からの利用者に東洋人がとても増えていることが感じられる。それと同時に白人社会の優越性が相対的に減少しているのではないかと思えてしまう。実際にはもちろん政治的にも決してそんなことはないと思うけれどこうしたパブリックの場所に来るとこの街ですら移民の力の大きなうねりが聞こえてくるような気がする。
 かつてのSalt Lake Cityは白人以外の人種を見ることはほぼ稀で、わずかに19世紀の鉄道建設以来の中国人、日本人がかいま見える程度だったけれど、今では韓国系も、そして特にメキシコ系の住民が増えていてダウンタウンでは移民系とおぼしきホームレスを見受けるようになった。メキシコ系人口が今では30万人になるとガイド氏がいっていたような気がする。
 さて、ここの空港では無線LANはBoingo Hot Spotがつながるが、なぜか日本のHot Spotから海外ローミングしようとするけれど、選択肢には日本のHot Spotが出てこない。ここのホテルは簡単につながって快適だったけれど、空港はおおむね無料LANになっていないからちょっと面倒。
 ゲート前のテレビはニュースとして「秋葉原事件」を報じている。ちょっとショッキングな話で、昨日、この事件をジャクソンの街でガイド氏から聞いて知ったときにはおもわず「この国だったら銃撃だなぁ」といってしまった。
 ほぼ定刻通りにUA#1177はboardingを開始。しかし、実際に滑走路から離陸したのは09:10であった。座席は15-E & Fで窓からは快晴の天気のおかげで地表は総べてみることができる。ガイド氏に聞いていた水深の浅いGreat Salt Lakeの周辺部ではバクテリアの作用といわれる色の変化を見ることができる。中には煉瓦色になっている部分もあって、とてもカラフルである。これはサンフランシスコの湾内でも同じことがいえそうだ。
 飛行機は一気に西を目指すので、山並みを一つ超えるごとに少しずつ緑色が見えてくる。そして最後には山並みが木々に覆われている。西へ行くに従って、夢が現実に近づくよう開拓者の気持ちが推し量れそうだけれど、それだけ先住民の気持ちも推し量る必要がありそうだ。
 北西の方向に雪を頂いた独立峰が見えてくる。多分、近頃ではほとんど思い出さなかったいわゆる「タコマ富士」に違いない。日本人たちにふるさとを思い出させたというあの山である。Salt Lake Cityからカリフォルニアに入ると時計を1時間元に戻すことになる。
 サンフランシスコ空港でのUnited Airのゲートは先日のトランジットで勝手知ったる状況だから、すぐにフードコートに向かう。なにしろ朝6時過ぎにアップル・パイ・ターン・オーバーを食べただけだからお腹はぺこぺこ。またまたフードコートの中華でコンボを買ってくる。連れ合いは「TOMOKAZU」で鰻ロールとフルーツを買ってくる。LAに飛ぶフライトまでには約2時間あって、充分の余裕である。ゲート前までいっておいて、柱の電源からチャージしながらなにやらコンピューターを走らせている人間がたくさんいる。負けてはならじと私も端っこの柱にある電源からチャージする。今度もまた機体は737-300である。私たちの座席は12-A & Bだけれども、この機体だと10列と11列の乗客は非常時に非常口での乗客の避難を支援することが求められる。客室乗務員がその旨をこの二列に座る客に対して求め、最後に「引き受けてくれる人は最後に"Yes !!”と大きな声でお願いします」といい、客は「イエス!」と大きな声で反応する。その中にインドから来たと一目でわかる人が座っていて何のことをいっているのかわからない雰囲気。他の乗客と本当に席を替わる。代わってそこに座った男は客室乗務員が説明しようとするとそのまま「イエス!」と答えて周りの笑いを誘う。
 Los Angelesのターミナルはずいぶん前から変わっていない。baggage claimまでやってくるけれど、荷物はなかなか出てこない。都会の空港に出てくるとこうしたことに時間がかかる。荷物を待つ客の中に日本人の人がこんなにいるのもやっぱり都会の空港だからだろう。大手セット旅行会社の印をつけた中高年のグループがたくさんいる。若い、いかにも何かを求めてやってきたという雰囲気の人たちもいる。
 シャトルダウンタウンのホテルに向かう。バンには定員いっぱいのお客がいる。隣の若者が北斎の蒲原の浮世絵柄のDSを動かしている。「それはマリオ?」と聞くと、なんと日本語で「マリオの親戚みたいなものですね」と答えが返ってくる。びっくりしてどうしてそんなに日本語がしゃべれるんだと聞くと彼はUSCで日本語を専攻していてこの5月に卒業したばかりだというのだ。できれば国費留学奨学金を取って日本に留学したいのだという。彼が所属していたと覚しきUSCのクラブハウスに入っていく。
 ダウンタウンに向かうというこのシャトルが驚くような地域でフリーウェイを降り、多分自分だったら決して走らないであろう地域を走る。見るからに寂れていてあれているという地域である。乗客の一人であるアフリカン・アメリカンのおばあさんが住んでいるハウスに直づけする。本当にDoor to Doorなのである。
 ホテルにチェックインしてから本屋に行く。あんまり大きい本屋が見つからず、Carl's Jr.でバーガーを食べて帰る。何もしていないはずなのに、疲れて寝てしまう。