ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新宿へ

 7月ー8月ー9月は毎月一回は引き続き保阪正康の話を聞きに行く。彼は常に感情論に流されず、史実を正確に捉えることによって論じていかなくてはならないと、説明する。今日は彼が最近朝日新書から出した「東京裁判の教訓」にも書かれている項目も繋ぎながら東京裁判の本質について彼の考えを聞くことができた。
 彼はかつて1970年代に東京裁判を徹底的に検証していけば昭和前期を的確に掴むことができるだろうと思い立ったことがあるが、これを自らの手でこなしていこうとすると各言語を習得し、なおかつ全連合国を取材してまわるだけの財力がなければなしえないことに到達して諦めたという。もし、彼が意図したプロジェクトを国家的レベルの研究機関がこれをその時代に成し遂げていたら日本の近現代史においてとてつもない宝となっていたであろうことは疑問の余地がない。敗戦直前に中央からの指示によって根幹となる書類をすべて焼却しきったわが国はここで大きく歴史に穴をあけているのだろうか。
 面白かったのは東條逮捕から第一回法廷までの期間、そして1948年4月から8月までの休廷期間中の「見えざる部分」をどのように検証していくのかという点。
 1948年12月23日というべきか24日というべきか、7名の処刑によってそれまでの社会が整理されたという意味をもたらしたのではないか、という考えもある。この処刑のショックを和らげるかのように19名のA級戦犯が釈放されたという解釈は違うのではないのか、あれはやはりCIAによって充分含みをもたせて釈放されたのだと考えるのが当然ではないかという解釈は面白い。「今までおまえたちがやってきたことはすべてわかっているぞ、これからも見ているぞ、認識しろよ!」と。そうして考えると児玉にしても岸にしてもそれ以降の米国に対する献身的働きぶりは何ら疑問なく見ることができる。そういう視点に立って、釈放された彼らのその後を検証したら面白いかも知れない。
 パル判事についても彼は冷静である。パル判事はインド人であるが当然英国で学んでいる。彼は東京裁判の場を借りて英国帝国主義的政策を批判し、同時に日本の帝国主義をも批判している。逆に彼は法廷での検事団の実証に関心を払っている様子が見えないという。しかも、彼はインドでの発言とその後日本に来ての発言に食い違いが見えると保阪は指摘する。
 意外だったのは児島襄の中公新書東京裁判」について保阪は実証的に書いた最初の東京裁判に関する書といえるという。児島は大変な資料集をした人だけれども、逆に「彼に貸すと返ってこない」という人もいたという。どうやら彼の資料、日本近代戦史関係8685冊(和書5341冊・中国語906冊・洋書2438冊)は専修大学に「児島襄文庫」として残っているようだ。
 また、裁かれた側の私たちが裁いた側の責任を問うという立場を避けてきたことはやはり問題だと指摘する。つまり、ならば米国のベトナム、フランスのやはりベトナム、オランダのインドネシア、英国の各植民地に対して犯してきたことを私たち、あの裁判で裁かれた側はそれを声を上げて指摘しなくてはならないというのだ。ただし、あくまでも彼は感情論を排し、冷静な分析として、と繰り返す。つまり結局は東京裁判は残虐な行為に対する「復讐」であったと。そして裁かれた側としてこの裁判そのものを私たちは21世紀の戦争の愚かしさを批判する上での武器にしなくてはならないともいう。こんなことをいう人は初めて見た。
 そして保阪は東京裁判の記録には日本の指導者の低劣さを証明する部分がいくらでも埋まっているという。これを「地雷が埋まっている」と彼は表現した。
 保阪は来月「東京裁判の教訓とは何か」という講演をするという。早速申し込んだ。

例によって紀伊国屋ビル

 帰りに紀伊国屋によると「東京裁判の教訓(朝日新書)」と「昭和を点検する(講談社現代新書)」のそれぞれの著者直筆サイン本が並んでいたのにはちょっと笑ってしまった。こうした著者のサイン本が欲しい人もいるんだと。
 ところでその「東京裁判の教訓」には東条英機の日記がたびたび引用されている。もちろん当時の東條の日記だから漢文調をカタカナ交じりに書いてある。愕然とするのだけれど、私はもう既にこうした文を読むことに大層くたびれるのである。高校生の頃には漢文は必修で、名物教師のおかげで白文を読み下していた。大学受験予備校の試験では漢文を選択していたくらいだった。当時は古典乙二の試験では古文か漢文かの選択をしなくてはならない部分が良くついていた。そうした時には必ず漢文を選択していた。にもかかわらず白文ですらないそんな文章を読むのに疲れるのである。私の漢文解釈能力はもうとっくに錆びていて、その錆びもばりばりとはがれ落ちてしまって、あとにはなにも残らない状況なのである。実にがっかりであった。
 本日の文献中に引用されていた「ポピーと桜」小菅 Margaret 信子 岩波書店2008.06を入手。

ポピーと桜―日英和解を紡ぎなおす

ポピーと桜―日英和解を紡ぎなおす

 昨日の池袋のある書店では払底していた「The Road」コーマック・マッカーシー著を入手。私が新刊本の小説を買ったのは一体いつ以来のことか思い出せない。帰りの電車の中でつらつらと数ページに目を通すが、どうも小説の読み方を忘れてしまっているらしい。
 「昭和天皇マッカーサー会見」豊下楢彦著 岩波現代文庫 2008.07を発見入手。
昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)

昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)

寄り道

 ここまで来たらいつものように、水山によって、暑いというのにやはりここではこれだと「ちゃんぽんうどん」を注文。720円。40円値上がりしていることに気づく。そして小麦粉が変わったのか、以前の舌触りと異なる食感がある。それにしても人間は食べ物を食べるのに、ホンの瞬間しかわからない味だ、舌触りだ、ということに全霊のエネルギーを注ぐ。多分動物でこんなことをするのは人間だけだ。
 ほぼ30年振りくらいに伊勢丹に入った。Isetan Mensなんてのができていることすら知らない。とりあえず一番上まであがって降りてこようとあがった。そこに並んでいた双眼鏡を何気なく見たら20万円をこえるプライス・タグがついていたのを発見して逃げる。は、はぁ〜と平身低頭して逃げる。そういうことか。だからこのデパートは儲かっているのか。とてもお呼びではないようだ。
 地下道を地下鉄の駅に向かって歩くととてつもなく大きな男を中心にテレビの撮影スタッフがいて何事ならんと見るとテレビ朝日の夕方のワイドショーの「東京見聞録」というコーナーに出てくる外国人三人組だった。
 家にたどり着いて、ぐったりと夕方寝をする。